ターミナル島
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ターミナル島(英:Terminal Island)は、アメリカ合衆国カリフォルニア州ロサンゼルス市、サンペドロ地区の東側、ウィルミントン地区の南側にある島。20世紀初頭に日系人が開拓した漁村は、21世紀までに工業地帯となり、港湾はコンテナ船が寄港するなど北米屈指のロサンゼルス港の一角を成す規模となった[1]。
歴史
- 1897年 - 島を横断する鉄道の敷設権を得たロサンゼルス・ターミナル鉄道がガラガラヘビ島をターミナル島へ改称。
- 1890年 - 鉄道が敷設された。
- 1924年 - 海軍航空基地の建設が始まる。
- 1942年 - 日系人の強制退去。
- 1943年 - ロングビーチ海軍造船所の建設が始まる。
- 1946年 - スカラー・ハイム橋(垂直橋)の建設が始まる。
- 1997年 - ロングビーチ海軍造船所が閉鎖。
日系人の足跡
1878年、和歌山県太地町で大背美流れと呼ばれる海難事故が発生し、古来から行われてきたクジラ漁が立ち行かなくなると、19世紀の末頃から漁民の一部が移民としてターミナル島へ定着。漁業と合わせてツナ缶の製造で生計を立てるようになった。最盛期には3000人以上の日系人が暮らしていたが、1941年に日本が真珠湾攻撃を開始すると、島の住民らはスパイ扱いされるようになった[2]、1942年2月19日にセオドア・ルーズベルト大統領がアメリカ西海岸の日系人に対して立ち退きと強制収容を決定。同年2月25日、島の日系人に対して48時間以内の強制退去命令が出された(集団立ち退き命令は全米初)[3]。やがて住民らは他のロサンゼルス市民とともにマンザナー強制収容所などへ収容された。
日本人の居住地のほとんどは第二次世界大戦中に破壊され、造船所などの工業施設が建設されるなど大きく変化した。戦後、解放された日系人は居住地が破壊されたターミナル島に戻ることはできず、周辺で漁業などを再開した。1971年、かつての住民らがターミナル・アイランダーズクラブを結成。2002年には、第二世代の住民らがターミナル島で記念碑(漁師の像や鳥居、歌碑)を設立した[4][5]。
2025年8月20日、ロサンゼルス市議会は、島に残る日本人ゆかりの2棟の建物を、「ふるさとツナ通り」として歴史文化記念物に指定することを、全会一致で決定した[6]。
ターミナル島に関連した映画
- Furusato: The Lost Village of Terminal Island (デビット・メッツェラー監督、2007年アメリカ、40分)[7]
脚注
- ^ “ターミナル島/動乱の時代、懸命に生きた日本人”. 日本海事新聞 (2014年7月8日). 2025年9月29日閲覧。
- ^ 佐々木芽生 (2018年10月23日). “太地町の知られざる移民の歴史〜アメリカ西海岸で起きた悲劇とその後”. yahoo. 2025年9月29日閲覧。
- ^ 岡野護『年表 移住150年史:邦人・日系人・メディアの足跡』風響社、2020年、162頁。ISBN 9784894892804。
- ^ “ロサンゼルス港”. アメリカ大自然. 2025年9月29日閲覧。
- ^ “戦後70年・日系アメリカ人インタビュー/巽 幸雄さん&長男の一郎さん”. ライトハウス ロサンゼルス (2015年8月1日). 2025年9月29日閲覧。
- ^ “「ツナ通り」を歴史文化財に指定:LA市議会、全会一致で決定”. RAFU SHIMPO (2025年9月19日). 2025年9月29日閲覧。
- ^ “ドキュメンタリー映画 「古里 : 失われた村、ターミナル島」”. 立命館大学 (2013年4月2日). 2025年9月29日閲覧。
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