TFXプログラムとF-111Bの頓挫
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「F-14 (戦闘機)」の記事における「TFXプログラムとF-111Bの頓挫」の解説
1961年、ケネディ政権下で国防長官に就任したロバート・S・マクナマラは、効率化の一環として、海軍と空軍から要望されていた新型戦闘機を可変後退翼を持つ共通のプラットフォームTFX(Tactical Fighter Experimental)として開発する計画を立てた。空軍から出ていた要望は低空侵攻可能な戦闘爆撃機、海軍からの要望は対艦ミサイル搭載の大型機を対艦ミサイル射程外から迎撃するための長距離航行可能かつ短距離での格闘戦を想定した戦闘機であり、共通化の困難なものであった。 1961年10月1日に入札各社は各案を提示。ジェネラル・ダイナミクス社が落札した。ジェネラル・ダイナミクス社はグラマン社と提携し、グラマン社は降着装置と本体後方部、および海軍型のTFX-N(後のF-111B)のデザインを担当した。 F-111Bの試作機は1965年の5月に初飛行を行ったが、重量過多、航行速度不足、降着装置の位置が前方に偏り過ぎていたことによる着艦時挙動の不安定さが問題点として指摘された。ジェネラル・ダイナミクス社はたびたび改修を行ったものの、要求仕様を満たすことができなかった。海軍は既にやる気を失っており、要求仕様の緩和などの対応をすることなく、採用見送りに至った。ただし、後に1機のF-111B(機体番号1510974)は1968年7月に空母「コーラル・シー」で着艦試験を行ったが特に問題はなく、海軍の要求が過剰であったことを示している。
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