孫狼
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建安二十三年(二一八)、陸渾の県長であった張固は、人夫を徴発せよとの命令を受け、彼らを漢中に送ることになった。しかし百姓たちは遠方での苦役を嫌がり、心にわだかまりを抱いた。そこで領民の孫狼らは挙兵して県主簿を殺し、叛乱を起こして県城を破壊した。張固は胡昭という者に身を寄せて領民を呼び集めた。孫狼が南方へ行って関羽に帰服すると、関羽は印綬と軍勢を与え、帰郷して暴れまわらせた。孫狼らは陸渾の南にある長楽亭まで来たが、「胡居士(胡昭)は賢者であるから、あの部落は一度たりとも侵害してはならぬぞ」と誓いあった《管寧伝》。 『関羽伝』に、梁・郟・陸渾の羣盗のなかには、はるばる関羽から印綬称号を受けて彼の支党となる者もあった、とある。孫狼らを指すものだろう。 |
孫朗
孫 朗(そん ろう、生没年不詳)は、中国後漢時代末期の人物。別名は孫仁[1]。孫堅の末子。異母兄に孫策・孫権・孫翊・孫匡。
事績
孫朗本人のものと明記された事績は史書に見えないが、『三国志』孫匡伝の注に引く『江表伝』には以下の話がある。
注釈者の裴松之は、これを孫匡の事績とすると早逝したこととの辻褄が合わないことから、孫朗の事績と推定している。
家系図
物語中の孫朗
羅貫中の『三国志演義』では、第7回で名前のみ挙がり、字は早安、母は孫堅正室の呉夫人の妹と設定されている。
伴野朗の『呉・三国志 長江燃ゆ』では主人公として扱われている。
出典
- 陳寿撰、裴松之注『三国志』巻46 呉書 孫堅伝注『志林』(中国語版ウィキソース)
脚注
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