Steve Dentonとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > Steve Dentonの意味・解説 

スティーブ・デントン

(Steve Denton から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/06/11 22:29 UTC 版)

スティーブ・デントン
基本情報
ラテン文字名 Steve Denton
国籍 アメリカ合衆国
出身地 同・テキサス州キングスビル
生年月日 1956年9月5日(59歳)
身長 187cm
体重 81kg
利き手
バックハンド 片手打ち
ツアー経歴
デビュー年 1978年
引退年 1988年
ツアー通算 18勝
シングルス 0勝
ダブルス 18勝
生涯通算成績 430勝314敗
シングルス 108勝117敗
ダブルス 322勝197敗
4大大会最高成績・シングルス
全豪 準優勝(1981・82)
全仏 1回戦(1982・84)
全英 4回戦(1982)
全米 4回戦(1982)
4大大会最高成績・ダブルス
全豪 準優勝(1983)
全仏 ベスト8(1984)
全英 ベスト4(1982・83)
全米 優勝(1982)
優勝回数 1(米1)
キャリア自己最高ランキング
シングルス 12位
ダブルス 5位

スティーブ・デントンSteve Denton, 1956年9月5日 - )は、アメリカテキサス州キングスビル出身の元男子プロテニス選手。1981年1982年の2年連続で、全豪オープンの男子シングルス準優勝者になった選手である。男子ダブルスでは1982年全米オープンで、ケビン・カレンとペアを組んで優勝した。混合ダブルスではウィンブルドン1983年1984年の2年連続準優勝がある。自己最高ランキングはシングルス12位、ダブルス5位。ATPツアーでダブルス18勝を挙げたが、シングルスでは全豪オープンの2年連続準優勝を含めて6度の準優勝があり、1度も優勝できずに終わった不運な選手である。

1978年にプロ入り。1981年全豪オープンは、現在とは違う12月の年末開催の大会で、男子シングルスは64名の選手による6回戦制で行われた。デントンはノーシードから決勝まで勝ち進んだが、決勝で第4シードのヨハン・クリークに 2-6, 6-7, 7-6, 4-6 で敗れて準優勝になった。翌1982年全豪オープンでは、前年度優勝者のクリークが第1シード、準優勝者のデントンが第2シードに選ばれた。1982年の全豪オープン男子シングルスは、出場選手が96名に増え、トーナメントも7回戦制に拡大された。(32名の選手に「1回戦不戦勝」があったが、第2シードのデントンは1回戦から出場した。)デントンとクリークは順当に勝ち進み、2年連続の決勝対決を実現させたが、再びクリークが 6-3, 6-3, 6-2 で勝って大会2連覇を達成し、デントンは2年連続準優勝に終わった。2度の全豪準優勝を含めて、デントンは1984年まで男子ツアー大会のシングルスで6度の準優勝止まりに終わってしまい、とうとうシングルスでは優勝できなかった。全豪オープン以外の4大大会シングルス成績は、1982年ウィンブルドン全米オープンの4回戦進出が最高で、全仏オープンでは1勝もできなかった。

スティーブ・デントンはダブルスで優れた力量を発揮し、1982年全米オープンケビン・カレンとペアを組んで優勝した。1983年全豪オープン男子ダブルスでは、デントンは同じアメリカのシャーウッド・スチュワートとペアを組んで決勝に勝ち進んだが(同大会のシングルスでは3回戦敗退)、地元オーストラリアペアのマーク・エドモンドソン&ポール・マクナミー組に 3-6, 6-7 で敗れて準優勝になっている。混合ダブルスでは、1981年全米オープンでジョアン・ラッセル(アメリカ)とペアを組んだ準優勝と、ウィンブルドン1983年1984年の2年連続準優勝があった。1983年のウィンブルドン混合ダブルスでは、デントンは当時39歳のビリー・ジーン・キング夫人とペアを組み、1984年はキャシー・ジョーダンと組んだが、2年連続でジョン・ロイドイギリス)&ウェンディ・ターンブルオーストラリア)組に敗れる。デントンのキャリアには、不運な準優勝が数多くついてまわった。

デントンは日本のトーナメントでも、ダブルスで2度の準優勝がある。1983年の「セイコー・スーパー・テニス」ダブルスではジョン・フィッツジェラルドとペアを組んだが、決勝でマーク・エドモンドソン&シャーウッド・スチュワート組に敗れた。現役最後の年となった1988年、デントンは「ジャパン・オープン」の男子ダブルスにデビッド・ペイトとペアを組んで出場している。デントンとペイトは決勝でヨハン・クリークジョン・フィッツジェラルド組に敗れたが、これが彼の最後のツアー大会決勝戦になった。デントンは1987年にシングルスから撤退したが、ダブルスでは1988年までキャリアを続行し、1988年10月のシンガポール大会で日本の辻野隆三とペアを組んだ1回戦敗退を最後に現役を引退した。

主な成績

外部リンク


「Steve Denton」の例文・使い方・用例・文例

Weblio日本語例文用例辞書はプログラムで機械的に例文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「Steve Denton」の関連用語

Steve Dentonのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



Steve Dentonのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのスティーブ・デントン (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。
Tanaka Corpusのコンテンツは、特に明示されている場合を除いて、次のライセンスに従います:
 Creative Commons Attribution (CC-BY) 2.0 France.
この対訳データはCreative Commons Attribution 3.0 Unportedでライセンスされています。
浜島書店 Catch a Wave
Copyright © 1995-2025 Hamajima Shoten, Publishers. All rights reserved.
株式会社ベネッセコーポレーション株式会社ベネッセコーポレーション
Copyright © Benesse Holdings, Inc. All rights reserved.
研究社研究社
Copyright (c) 1995-2025 Kenkyusha Co., Ltd. All rights reserved.
日本語WordNet日本語WordNet
日本語ワードネット1.1版 (C) 情報通信研究機構, 2009-2010 License All rights reserved.
WordNet 3.0 Copyright 2006 by Princeton University. All rights reserved. License
日外アソシエーツ株式会社日外アソシエーツ株式会社
Copyright (C) 1994- Nichigai Associates, Inc., All rights reserved.
「斎藤和英大辞典」斎藤秀三郎著、日外アソシエーツ辞書編集部編
EDRDGEDRDG
This page uses the JMdict dictionary files. These files are the property of the Electronic Dictionary Research and Development Group, and are used in conformance with the Group's licence.

©2025 GRAS Group, Inc.RSS