ロイヤル・アカデミー・オブ・アーツ
(Royal Academy of Arts から転送)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2026/04/13 01:16 UTC 版)
| |
|
| 施設情報 | |
| 来館者数 | 1,285,595人 (2016年)[1] |
| 館長 | レベッカ・ソルター |
| 開館 | 1768年 |
| 所在地 | |
| アクセス | ピカデリー・サーカス駅、グリーン・パーク駅 |
| 外部リンク | royalacademy.org.uk |
| プロジェクト:GLAM | |
ロイヤル・アカデミー・オブ・アーツ(英: Royal Academy of Arts、略: RA)は、1768年に設立された美術家団体、国立美術学校。美術館が併設されている。王立芸術院と訳される。現在はイギリス・ロンドン中心部のピカデリーにある。
併設するロイヤル・アカデミー・スクール(英: Royal Academy Schools)は、イギリス最古の美術学校である。現在は3年制の大学院レベルの教育を行っている。
沿革
その歴史はロンドンで共同で展覧会を開催するための美術家の団体、大英芸術家協会(Society of Artists of Great Britain)が1760年に設立されたことに始まった。創立メンバーにはジョシュア・レノルズやフランシス・ヘイマン、リチャード・ウィルソンといった画家がいた。1760年4月に最初の展覧会を開催し、定期的に開かれる展覧会は人気のあるものになり、1765年に国王の勅許を受け、この年の大英芸術家協会の会員数は211人に達した。しかし1767年から、会員の有力な2人の建築家、ジェームズ・ペインとウィリアム・チェンバーズの間で派閥争いが起こり、チェンバーズやレノルズらは大英芸術家協会を脱退し、1768年に新しい団体であるロイヤル・アカデミー・オブ・アーツを設立し、1769年に最初の展覧会を開催した。大英芸術家協会は1791年まで展覧会を開催した後、解散した[2]。
1768年12月10日にジョージ3世が署名した設立に関する協定書では、会員総数は40名と定められており、実際には34名の創設会員が名を連ねていた。初代会長はジョシュア・レノルズである(現在、中庭に銅像が建てられている)。会員は、初代会計責任者となったチェンバーズ、初代秘書に選出されたフランシス・ミルナー・ニュートンのほか、トマス・ゲインズバラ、ナサニエル・ホーン(父)、ポール・サンドビー、ベンジャミン・ウェスト、リチャード・ウィルソンなどである[3]。女性画家のアンゲリカ・カウフマンとメアリー・モーザーも会員であった。1769年には、ウィリアム・ホーアとヨハン・ゾファニーが国王によって会員に加えられ、総勢36名となった[3]。
すべての芸術家に門戸を開いたロイヤル・アカデミー初の同時代美術の展覧会は、1769年4月25日から5月27日まで開催され、そこでは136点の作品が展示された[4]。現在「サマー・エキシビション」として知られるこの展覧会は、今日に至るまで毎年開催され続けている。
会員は、会員の認証を得る際に勅許作品として自身の作品をアカデミーに寄託することになっており、これが今日の美術館の所蔵品の主体となった。
アカデミーは当初ペル・メル通りに設置され、1771年にオールド・サマセット・ハウスに、1780年にチェンバーズが設計したニュー・サマセット・ハウスに、1837年にはトラファルガー広場に新しく建築された建物(現在のナショナル・ギャラリーの東棟)に移り、さらに1869年にバーリントン・ハウスへと移転して現在に至る[5]。バーリントン・ハウスはパラディオ様式の建物で、かつてバーリントン卿の邸宅であった。この建物には以前、ロンドン大学の本部が置かれていたこともあった。
1870年、ロイヤル・アカデミーに次ぐ規模の美術家団体である英国協会(British Institution)におけるオールド・マスターの年次展覧会が終了したことを受け、アカデミーは展示事業を拡大し、オールド・マスターの年次企画展を恒例行事として加えた[6]。
活動
ロイヤル・アカデミー・オブ・アーツは王立とはいえ、王室や政府から財政的支援を受けていない。アカデミーの本拠地であるバーリントン・ハウスは英国政府が所有しており、名目上の家賃で999年間の借地権としてアカデミーに提供されている[7]。収入源のひとつは美術展の開催で、これはロンドン・ナショナル・ギャラリーやテートなどに匹敵するものである。2004年には、新しく改装されたバーリントン・ハウスの当初の区画であるジョン・マデウスキー・ファイン・ルームと呼ばれる部屋で、常設展示も行われるようになった[8]。
1824年にロンドンのナショナル・ギャラリーが創設されるまで、芸術家や学生に昔の巨匠の名作の数々に触れる貴重な場を提供し続けた。
アカデミー会長一覧
- ジョシュア・レノルズ (1768–1792)
- ベンジャミン・ウエスト (1792–1805)
- ジェームズ・ワイアット (1805–1806)
- ベンジャミン・ウエスト (1806–1820)
- トーマス・ローレンス (1820–1830)
- マーティン・アーチャー・シー (1830–1850)
- チャールズ・ロック・イーストレイク (1850–1865)
- フランシス・グラント (1866–1878)
- フレデリック・レイトン (1878–1896)
- ジョン・エヴァレット・ミレー (1896)
- エドワード・ポインター (1896–1918)
- アストン・ウェッブ (1919–1924)
- フランク・ディックシー (1924–1928)
- ウィリアム・ルウェリン (1928–1938)
- エドウィン・ラッチェンス (1938–1944)
- アルフレッド・マニングス (1944–1949)
- ジェラルド・ケリー (1949–1954)
- アルバート・リチャードソン (1954–1956)
- チャールズ・ウィーラー (1956–1966)
- ウォルター・トマス・モニントン (1966–1976)
- ヒュー・カッソン (1976–1984)
- ロジャー・デ・グレイ (1984–1993)
- フィリップ・ドーソン (1993–1999)
- フィリップ・キング (1999–2004)
- ニコラス・グリムショー (2004–2011)
- クリストファー・ル・ブラン (2011–2019)
- レベッカ・ソルター (2019– )
アカデミー会員
「ロイヤル・アカデミーの役職者一覧(List of officers of the Royal Academy of Arts)」および「ロイヤル・アカデミーの会員一覧(List of Royal Academicians)」を参照
ロイヤル・アカデミーの会員は現在、最大80名の現役の芸術家で構成されている。各会員はアカデミーの総会での投票によって選出され、個々にはロイヤル・アカデミー会員(Royal Academicians, 略称RA)と呼ばれる。アカデミーはこれらの会員によって運営されている。
1768年の「設立に関する協定書」では、ロイヤル・アカデミーの会員総数は40名の芸術家と定められていた。翌年、正会員とは別に準会員の地位が設けられ、こちらは定員20名と定められた。アカデミー設立時、版画家はアカデミーから完全に排除されていたが、この際に「準会員(版画家)」が設けられた。版画家の準会員は6名に制限され、他の分野の準会員とは異なり、正会員に昇格することは制度上不可能となっていた[9]。1853年、アカデミーの会員数は42名に増員され、版画家にもついに正会員の道が開かれた。1922年、アカデミー設立から154年を経て、アニー・スウィナートンが女性として初の準会員となった[10]。
美術学校
美術学校の重要な原則の一つは、3年間の高等教育課程(post-graduate programme)が、合格したすべての志願者に無償で提供されていることである[11]。
ロイヤル・アカデミー附属の美術学校は、英国で初めて芸術家向けの専門教育を提供した機関である。同校の正式な教育課程は、1648年にフランスでルイ14世によって設立された王立絵画彫刻アカデミー(Académie de peinture et de sculpture)をモデルとしており、ジョシュア・レノルズが定めた指針に基づいて形成された。1769年から1790年にかけて同校の学生たちに向けて行われた全15回の『講話(Discourses)』において、レノルズは、オールド・マスターの作品を模写すること、古代彫刻の複製や生身のモデルをデッサンすることの重要性を強調した。彼は、そのような訓練こそが、高い道徳的・芸術的価値を持つ作品を生み出すことのできる芸術家を育成すると主張した。化学、解剖学、古代史、古代文学の各教授職が設置され、後者の二つは当初、サミュエル・ジョンソンとオリバー・ゴールドスミスが務めた[12]。
1769年の開校初年度、同校には77名の学生が入学した。1830年までに、同校の学生数は1,500名を超え、年間平均25名の学生が入学していた。その中には、ジョン・フラクスマン、J・M・W・ターナー、ジョン・ソーン、トマス・ローランドソン、ウィリアム・ブレイク、トマス・ローレンスらが、19世紀ではジョン・コンスタブル、ジョージ・ヘイター、デイヴィッド・ウィルキー、ウィリアム・エティ、エドウィン・ランシア、ウィリアム・ホルマン・ハント、ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ、ジョン・エヴァレット・ミレイといった男性たちが含まれていた。同校に女子学生として初めて入学したのは、1860年のローラ・ハーフォードであった。その他の女子学生には、デイジー・ラドクリフ・ベレスフォードなどがいた。チャールズ・シムズは1895年に同校から除籍された[13]。
2011年、トレイシー・エミンが素描の教授に[14]、フィオナ・レイが絵画の教授に任命された。これはアカデミー史上初の女性教授の就任であった[15]。
脚注
- ↑ “The Art Newspaper Ranking VISITOR FIGURES 2016” (PDF). The Art Newspaper. 2016年10月18日閲覧。
- ↑ Matthew Hargraves: Candidates for Fame: The Society of Artists of Great Britain, 1760–1791. Yale University Press 2005, ISBN 0-300-11004-9
- 1 2 Hodgson & Eaton (1905), p. 353
- ↑ “1769 Catching Your Eye”. chronicle250.com. Royal Academy of arts. 2026年4月13日閲覧。
- ↑ 宮崎直子「ロイヤル・アカデミー設立とその基本的理念について」p. 98、『西洋美術研究』編集委員会編、第2巻、pp. 92-110、1999年、三元社
- ↑ "Exhibition of the works of Old Masters". Royal Academy; Printed by William Clowes and Sons. 1870. Archived from the original on 24 September 2020. Retrieved 25 July 2020.
- ↑ "Lease of Burlington House". Royal Academy of Arts. Archived from the original on 26 August 2022. Retrieved 25 July 2020.
- ↑ "Fine Rooms are trading up". Evening Standard. 12 March 2004. Archived from the original on 26 August 2022. Retrieved 25 July 2020.
- ↑ Hodgson & Eaton 1905, p. 112.
- ↑ Hutchison, Sidney."The History of the Royal Academy, 1768–1968" Taplinger Publishing Company, 1968
- ↑ "Royal Academy Schools Prospectus | Royal Academy of Arts". www.royalacademy.org.uk. Archived from the original on 21 March 2019. Retrieved 25 July 2020.
- ↑ "Oliver Goldsmith". Royal Academy of Arts. Archived from the original on 25 July 2020. Retrieved 25 July 2020.
- ↑ Reynolds, Simon. "Sims, Charles Henry (1873–1928)" in Oxford Dictionary of National Biography, Oxford University Press, 2004.
- ↑ "Tracey Emin to become a professor". BBC News. 14 December 2011. Archived from the original on 10 December 2018. Retrieved 1 August 2020.
- ↑ "Tracey Emin to become Professor of Drawing at RA" Archived 27 March 2019 at the Wayback Machine"BBC News" 14 December 2011
参考文献
- 宮崎直子「ロイヤル・アカデミー設立とその基本的理念について」『西洋美術研究』編集委員会編、第2巻、pp. 92-110、三元社、1999年
関連項目
外部リンク
- ロイヤル・アカデミー・オブ・アーツ公式ウェブサイト
- ロイヤル・アカデミー・オブ・アーツ - 世界の美術館データベース
- Royal Academy of Artsに関連する著作物 - インターネットアーカイブ
- Royal Academy of Arts, The Royal Academy Summer Exhibition: A Chronicle, 1769–2018 https://chronicle250.com/ - 1769年から2018年までのロイヤル・アカデミーの年次展覧会に関する特設サイト
「Royal Academy of Arts」の例文・使い方・用例・文例
- 女王エリザベス; Republic(an); Rex; River; Royal.
- 英国学士院 (The Royal Society)の会報.
- Microsoftがβ版をランチするのは「NetShow streaming server」で動画や音声をオンデマンドで提供する。
- 《主に米国で用いられる》 = 《主に英国で用いられる》 an admiral of the fleet 海軍元帥.
- 篏入的 r 音 《英音の India office /ndiərfɪs/の /r/の音》.
- =《口語》 These kind of stamps are rare. この種の[こういう]切手は珍しい.
- (英国の)運輸省. the Ministry of Education(, Science and Culture) (日本の)文部省.
- は of の誤植です.
- を off と誤植する.
- あいまい母音 《about, sofa などの /ə/》.
- 副詞的小詞 《on, in, out, over, off など》.
- 迂言的属格 《語尾変化によらず前置詞によって示す属格; たとえば Caesar's の代わりの of Caesar など》.
- çon of garlic [humor]. それにはガーリック[ユーモア]がちょっぴり必要だ.
- 《主に米国で用いられる》 = 《主に英国で用いられる》 the Speaker of the House of Commons 下院議長.
- 《主に米国で用いられる》 = 《主に英国で用いられる》 the Committee of Ways and Means 歳入委員会.
- 初めて読んだ英文小説は“The Vicar of Wakefield”
- (違法罪―a sin of commission―に対する)怠惰罪
- 『each』、『every』、『either』、『neither』、『none』が分配的、つまり集団の中の1つのものを指すのに対し、『which of the men』の『which』は分離的である
- 『hot off the press(最新情報)』は『hot(最新の)』の拡張感覚を示している
- 『Each made a list of the books that had influenced him』における制限節は、リストに載った本を制限節で定義された特定の本だけに制限する
- Royal Academy of Artsのページへのリンク
