Quintillusとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 外国人名の読み方 > Quintillusの意味・解説 

Quintillus

名前 クインチルス; クィンティルスクインティルス

クィンティッルス

(Quintillus から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/17 04:04 UTC 版)

クィンティッルス
Quintillus
ローマ皇帝
クィンティッルス
在位 270年

死去 270年
テンプレートを表示

マルクス・アウレリウス・クラウディウス・クィンティッルスラテン語Marcus Aurelius Claudius Quintillus, ? - 270年)はローマ帝国軍人皇帝時代の皇帝。270年の一定期間だけ君臨した。

即位

クラウディウス・ゴティクスの弟で、『ローマ皇帝群像』によればクィンティッルスはクーデターによって政権を奪取したと伝えられる。ゴティクスの死後、軍隊の兵士たちに擁立されての即位だったらしく、ローマの元老院によって追従承認といった形で迎えられた。しかし他方では元老院からの要請で擁立されたとの記述もあり、一定していない。

しかしながら公式記録ではドナウ川流域で戦役を展開していたゴティクスの軍内でクィンティッルスの活躍がめざましかったともとくには書かれておらず、前述の記述を裏付ける証拠は残っていない。代わりに兵士たちはアウレリアヌスの擁立をした、または死の床でゴティクス本人が後継としてアウレリアヌスを指名したと記録されている。

あらゆる矛盾

クィンティッルスの帝位の記録は矛盾に満ちている。在位期間ですら各記録で食い違っている。分かっている事は270年のうち17日から177日までの間である事だけははっきりしている。またクィンティッルスの死についても、『ローマ皇帝群像』では兵士に対して厳格な統制を強いたために殺されたと記述があるが、ヒエロニムスはアウレリアヌスとの対立に敗れ殺されたと書いている。死の原因には様々な説があるが、その地がアクイレイアであったという事では一致している。

コンスタンティウス1世とその子孫達との関係

『ローマ皇帝群像』によれば、テトラルキア時代のローマ皇帝の一人でコンスタンティヌス1世の父であるコンスタンティウス1世は、ダルダニア英語版から来た貴族エウトロピウスとゴティクスとクィンティッルスの姪クラウディアとの間に生まれた息子である。つまり、コンスタンティウス1世はゴティクスとクィンティッルスの大甥にあたることになり、コンスタンティウス1世の子孫達はゴティクスやクィンティッルスと血縁関係を持つことになる。しかし、この系譜はコンスタンティウス1世の孫にあたるコンスタンティヌス2世による捏造で、地位が高い2人の末裔に見せかけたかったのだろうと多くの歴史家は考えており、コンスタンティウス1世とゴティクスやクィンティッルスとの間に血縁関係は存在しないとの見方が有力である。

妻・子女

名は不明だが、妻と子が2人いたという。



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「Quintillus」の関連用語

Quintillusのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



Quintillusのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
日外アソシエーツ株式会社日外アソシエーツ株式会社
Copyright (C) 1994- Nichigai Associates, Inc., All rights reserved.
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのクィンティッルス (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS