PCGの創業
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働き始めてから最初の3年間は、カナダのトロントにある投資銀行で資産管理を担当し、1980年代にカナダ国籍を取得した。 1990年には香港のハチソン・ワンポアのファンド管理部門で就労[3]。 ハチソン・ワンポアでは、1992年から1993年までエグゼクティブ・ディレクター、1993年から2000年まで副会長を務めた。 1990年、リー氏は自身の会社として、アメリカのテレビをストリーミングするアジア地域の衛星テレビネットワーク、STAR TVの設立に着手した。 Wired(ワイアード)誌によると、このサービスは「大規模な文化変革を引き起こし、2005年までに50カ国以上の国々に西洋の大衆娯楽を大量に注入した」という。STAR TVの収益性が証明されたことから、1993-1995年にかけてリー氏はRupert Murdoch(ルパート・マードック)に総額9億5,050万ドルで構築したネットワークを売却した。 STAR TVの売却で調達した資金をもとに、1993年にアジアを拠点とする投資グループであるパシフィックセンチュリーグループ(PCG)を設立し、CEO兼会長を務めた。 その後、PCGによる不動産、金融サービス、テクノロジー、メディア・通信への投資を行った。
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