MSXの衰退とムック化、休刊まで
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1989年頃から、世間は16ビット機へその主軸を移し始め、MSXもその影響をうけた。MSX黎明期から支えてきたT&E SOFTや、コナミは、1990年に発表となったMSX turboRを待たずして撤退。1991年にMSX規格の最終機「FS-A1GT」が発売された後には、『ディスクステーション』のコンパイルも撤退し、1992年に入っても新作の予定が残っていたのはマイクロキャビン、光栄、ファミリーソフトくらいだった。 このため、同じゲームの特集ばかり組まれたり一般向けタイトルに代わって急増したアダルトものの扱いが増えるなど、毎月の誌面構成にも苦慮が見られた。また、MSXへのソフトの移植をメーカーに要望するコーナー「いーしょーくーはまだかいな!?」(後の「いーしょーくー情報」)が作られた。その甲斐もあって1991年に『ソーサリアン』、1992年に『プリンセスメーカー』と『BURAI 下巻完結編』の移植が行われた。 その後、メーカーによるゲームの新作が望めなくなってからは、「同人地下工房」などのコーナーで同人サークル制作のソフトを積極的に紹介するなどして、MSXで遊べるゲームの情報を発信し続けた。
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