M-3S改計画
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前述の通り国会報告でミューロケットは直径を1.4mまでに制限されていた。その為にABSOLUTE計画をそのまま実行に移すことは出来なかった。その上で考案されたのがM-3S改計画である。この計画は1978年の宇宙推進シンポジウムにおいて提案されたものであり、Μ計画の完成型であったM-3Sロケットを基にして、第1段の直径を1.4mに抑えつつも、上段の1.6mへの大型化、大型補助ブースタの採用、関連要素技術の研究開発によって打ち上げ能力を何倍にも引き上げるというものであった。この計画は翌1979年にハレー彗星探査計画とともに宇宙開発委員会に提案されることになるが、関係省庁間の調整が難航し、探査計画のみが先に承認された。その後1980年に関係省庁の調整が終了し、1981年に計画が開始される。この間に計画は2段階に分割され、第1段階として第2段の直径を1.4mに抑えたM-3S改Iを開発し、第2段階として当初計画の形態であるM-3S改IIを開発するというものに変更された。この2つが正式に宇宙開発計画に組み込まれる際には、それぞれM-3SII, M-3SIIIと改名されることになる。 第1段階のM-3SIIにおいては、徹底的な軽量化と推薬性能の向上、上段及び補助ブースタの大型化や制御系の近代化によって打ち上げ能力が2.5倍まで向上された。また、並行して伸展ノズルの試験等の基礎研究が進められた。第2段階のM-3SIIIでは、当初計画通り第2段の1.6m化や補助ブースタの追加等を行うことによって、より一層の性能向上を図る予定であった。しかし、1989年に宇宙開発政策大綱の改訂によって直径に関する制約が外された為、以後はM-Vロケットの開発へと移行することになった。
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