ハリソン
アメリカの作曲家。カウエルやシェーンベルクに師事した。既存の楽器の改造も含め、数多くの楽器を製作した。なかでも、「タッチ・ピアノ」は、アップライト・ピアノのハンマーに画鋲を打ち込んだもので、打楽器的な音質をもつ。アメリカ芸術文学アカデミーの助成金やグッゲンハイム助成金、ロックフェラー奨学金等、多くの団体から音楽活動の奨励を受け、委嘱作品も多い。委嘱作品の中には、エスペラント語による自作のテクストに基づく歌曲もある。韓国の宮廷音楽や中国の古典音楽についても学び、東洋の民族楽器を用いた作品も手がけた。ストラヴィンスキーから贈られた20世紀傑作賞やフロム賞などの受賞暦、大学等での音楽の指導暦もある。1980年代には、ミルズ・カレッジのミヨー記念主任教授やメアリー・ウッド・ベネットの主任教授、フルブライト特別研究員などを歴任した。また、かつて助成金を受けたアメリカ芸術文学アカデミーの会員に選出され、ミルズ・カレッジとカリフォルニア州立大学のサクラメント校からは名誉博士号を授与された。
ルー・ハリソン
ルー・シルヴァー・ハリソン | |
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基本情報 | |
生誕 | 1917年5月14日 |
出身地 | アメリカ合衆国オレゴン州ポートランド |
死没 | 2003年2月2日(85歳没) |
ジャンル | 現代音楽 |
職業 | 作曲家 |
ルー・シルヴァー・ハリソン (Lou Silver Harrison、1917年5月14日-2003年2月2日)は、アメリカの現代音楽の作曲家。オレゴン州ポートランド出身。
経歴
世界中の民俗音楽を参照して出来上がる、一種のワールドミュージックに近い性質を持った作曲活動を行った。十二音技法で作曲したチェロとハープの為の組曲も佳品ではあるが、後にこの技法への敵意は凄まじいものとなった。『太平洋のロンド』ではフィナーレに十二音技法を配し、この技法が世界の調和を破るものとして用いられる。ジョン・ケージとも共同作曲をするほど仲が良かったものの、ハリソンの楽天的な性格がケージの厭世的な性格と合わなくなり、最終的には決裂する。
ハリソンが晩年まで情熱を傾けた物が音律である。世界の様々な音律に詳しかった彼は、世界の楽器を調律しなおす創作へ徐々に傾斜してゆく。最も有名なのはジャワ・ガムランだが、韓国の伝統楽器も調律しなおして作曲しており、芸風の幅は広い。舞台上のアップライトピアノを、自ら調律バーを持って聴衆の前で様々に違った調律の音階を聞かせるなど、聴衆の耳の覚醒すらも狙っていた。
現代音楽の保守的な空気を嫌い、その既成下に置かれない演奏家との活動をよしとした。最も有名なのはキース・ジャレットとの活動であろう。
エスペラントによる声楽作品も多く残しており(勿論、ハリソン自身がエスペランティストでもあった)、特に般若心経のエスペラント訳によるアメリカン・ガムランと合唱のための"La Koro Sutro"が有名[1][2]。
2003年、ハリソンの音楽が単独で祝われるフェスティバルへ向かう途中、インディアナ州ラファイエットのデニーズのレストランで心臓発作で倒れ、亡くなった。
作品
- Präludium und Sarabande für Orchester
- Alleluja für Orchester
- Neue Ode für Solo, Chor, Sprechchor, Orchester, Schlagzeug und orientalische *Instrumente
- Drums Along the Pacific
- "La Koro Sutro"
- Rhymes With Silver
- Serenado
- Solo Keyboards
- Pacifica Rondo
- "カルロス・チャベスのための哀歌" Threnody for Carlos Chávez(1978), ヴィオラとガムランのための
著書
- 『ルー・ハリソンのワールド・ミュージック入門』 ルー・ハリソン著 ; 柿沼敏江, 藤枝守訳. ジェスク音楽文化振興会, 1993.7 ISBN 978-4-6365-5032-0
脚注
- ^ “LA KORO SUTRO”. www.secondinversion.org. 2018年12月28日閲覧。
- ^ “LA KORO SUTRO”. bmop.org. 2018年12月28日閲覧。
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