KUWATA BAND結成、ソロデビュー
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「桑田佳祐」の記事における「KUWATA BAND結成、ソロデビュー」の解説
1986年から原が産休に入るため、サザンは活動を休止した。桑田は同年1月に結成したKUWATA BANDとして活動をした。活動期間は1年であり、シングル4作もヒットした。唯一のスタジオアルバム『NIPPON NO ROCK BAND』は、日本語詞中心に構成されたシングル曲は一切収録せず、全曲新曲の全英語詞アルバムになった:11,48,54-55。同年と1987年の12月24日には自身が企画・出演した特別番組『メリー・クリスマス・ショー』(日本テレビ系列)が放送され明石家さんま、松任谷由実、忌野清志郎らと共演した。 1987年10月には「悲しい気持ち (JUST A MAN IN LOVE)」でソロデビューした。小林武史と藤井丈司が楽曲制作に参加し、プログラミングや打ち込み中心のポップス路線を展開。1988年には桑田・小林・藤井の共同プロデュースで1枚目アルバム『Keisuke Kuwata』を発売。発売後は再びサザンとしての活動となった:11,48,54-55。 サザンの活動と並行して、1989年9月から自身が監督と音楽を務めた映画『稲村ジェーン』の撮影を開始し、同時に映画の楽曲のレコーディングも開始した:10。映画は1990年9月に公開され、賛否両論ありながらも、配給収入は18.3億円を記録し、同年の日本映画配給収入年間4位にランクインした。1991年に入り、7月にサザンとして「ネオ・ブラボー!!」を発売後に桑田は小林を迎え、SUPER CHIMPANZEEを結成し、9月に「クリといつまでも」を発売した:12。
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