K1・K3の審理
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「大牟田4人殺害事件」の記事における「K1・K3の審理」の解説
2005年4月26日、K1・K3両被告人について第3回公判が開かれ、同日は分離公判となった被告人K2が検察側の証人として出廷して「被害者Aの殺害は両被告人と共謀して殺害した。当初はK1とともに計画したが、自分が実行を躊躇っていたところK3が『自分が殺してもいい』と持ち掛けた」「長男Cの殺害は次男K4を含め4人全員で決めた」と証言した。 福岡地裁久留米支部はK1・K3両被告人について第4回公判を2005年5月10日14時から開廷することを予定していたが、K3は2005年5月5日午前8時ごろ、拘置先の福岡刑務所にて房内で体調を崩しているところを巡回した刑務官に発見されたため、医務官から応急措置を受けた後、病院に搬送された。そのため福岡地裁久留米支部は第4回公判を開廷予定だった2005年5月10日、公判日程を取り消し公判を中止した。 その後、福岡地裁久留米支部はいったん「2005年5月24日14時から改めて第4回公判を開廷する」と決定したが、2005年5月20日に再び「K3の体調不良」を理由に公判日程を取り消した。この時点でK3は気管支系の疾患などを併発していたが回復に向かい、第4回公判(2005年6月7日)までに退院した。 公判再開後、2005年7月27日になって福岡矯正管区はこの体調不良について「K3が2005年1月以降に服用していた不眠症の薬(向精神薬)の副作用が原因だ」と発表した。またK3自身は「自殺未遂ではない。薬の効き目を高めるため刑務官の目をごまかし、1回か2回、薬を飲むふりをしてから吐き出しては一度に飲んでいたかもしれない」と話した。 2005年6月7日に福岡地裁久留米支部でK1・K3両被告人の第4回公判が開かれ、検察側証人として出廷した被告人K2は「次男K4がAを絞殺した際の状況」について「一緒にいたK3が『しっかり首を絞めろ。人は息を吹き返すぞ』と自分に話しかけてきた」と証言した。 2005年6月14日に第5回公判が開かれ、被告人K3の弁護人は冒頭陳述で「K3は4人の殺害現場に居合わせた事実はなく、起訴事実を認めている母K2らとの謀議もなかったが、次男K4が死刑になるのを防ぐため、K1を除く母子3人で『K3も計画に加わったことにする』物語を作り上げた」と述べて無罪を主張した。
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