John Biscoeとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > John Biscoeの意味・解説 

ジョン・ビスコー

(John Biscoe から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/10 16:05 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動

ジョン・ビスコー(John Biscoe、1794年6月28日1843年)は、イギリス船員、探検家で、南極大陸の沿岸で視認した地域にエンダービーランドグレアムランドと名付けた、最初の遠征隊の隊長であった。この遠征隊はグレアムランドの近傍に多数の島々を発見したが、その中には、ビスコーにちなんで命名されたビスコー諸島も含まれていた。

生い立ち

ビスコーは、イングランドの当時のミドルセックス州インフィールド(現在のインフィールド・ロンドン特別区)に生まれた。1812年3月、当時17歳だったビスコーはイギリス海軍に入隊し、米英戦争(1812年-1813年戦争)に従軍してアメリカ合衆国と戦った。1815年に海軍を除隊するときには、マスター・マリナー(Master mariner:船長資格)を得ており、以降は航海士や船長として商船に乗り、東インド諸島西インド諸島航路に従事した[1]

南極海遠征:1830年 – 1833年

1830年捕鯨会社サミュエル・エンダービー&サンズ (Samuel Enderby & Sons) は、ビスコーをブリッグ「トゥーラ (Tula)」号の船長に任命し、新たなアザラシの猟場を探索する南極海への遠征隊の指揮者とした。カッター「ライヴリー (Lively)」号を伴ったトゥーラ号は、ロンドンを出発し、12月までにサウス・シェトランド諸島に到達した。遠征隊はそこからさらに南下し、1831年1月22日南極圏に入り、南緯60度に達してから東へ進路を変えた。

ひと月後の1831年2月24日、遠征隊は、流氷の向こうに剥き出しの山頂が見えるのを発見した。ビスコーは、これが大陸の一部に違いないものと見抜き、彼の雇い主の名にちなんで、この地域をエンダービーランドと名付けた。2月28日、岬が確認され、ビスコーはこれをアン岬 (Cape Ann) と名付けた。この岬の背後に連なる山は、後にビスコー山 (Mount Biscoe) と称されるようになった。ビスコーの探険隊はこの地域の探険を続け、海岸線の測量を始めたが、ひと月後には、ビスコー自身も含め、隊員の健康が危うくなってきた。一行は、オーストラリアを目指して航行し、5月にはタスマニア島ホバートにたどり着いたが、到着までに2人の隊員が壊血病で命を落とした。

遠征隊はホバートで越冬し、その後再び南極海へ向かった。1832年2月15日にはアデレード島を発見し、その2日後にはビスコー諸島が発見された。さらに4日後の2月21日には、さらに広範囲の海岸線が確認された。ここでも大陸に達したと推測したビスコーは、海軍本部のファースト・ロードであった第2代準男爵サージェイムズ・グラハム(グレアム) (Sir James Graham, 2nd Baronet) にちなんで、この地域をグレアムランドと名付けた[2]。ビスコーは、アンバース島 (Anvers Island) に上陸し、南極大陸本土を確認したと主張した[3]

ビスコーは、再び発見した海岸線の測量を始め、1832年4月末までに、ジェームズ・クックファビアン・フォン・ベリングスハウゼン (Fabian von Bellingshausen) に次ぐ、3例目の南極海一周航海を成し遂げた。7月、帰国の途上にあったライヴリー号がフォークランド諸島で座礁したが、それにもかかわらず遠征隊は1833年はじめには、ロンドンへ無事帰還した。

1833年のうちに、ビスコーは再びサミュエル・エンダービー&サンズからの依頼を受け、次の航海に向かうことになった。しかし、ビスコーは、おそらくは健康状態が理由で、準備の途中でこれを断念した。その代わりにビスコーは、気候が温暖な西インド諸島航路の仕事についた。その後は、オーストラリア近海での探険航海にも従事した[4]

ジョン・ビスコーは、1843年に、自分の家族をタスマニアからイングランドへ回航する航海の途上で死去した。49歳であった。

記念物

ビスコーの名は、諸島や山の名として残されている。ビスコー諸島は、1832年2月、トゥーラ号とライヴリー号による南極海一周航海の途中、グレアムランドの西海岸の沖合で発見された[5]。ビスコー山 (Mount Biscoe) は、東南極のアン岬における標高700メートルの目立った黒い山頂である。この山の発見者は、1929年に上空から確認したヒャルマー・リーセル=ラルセン (Hjalmar Riiser-Larsen) と、1930年のダグラス・モーソンであるが、ビスコーは1831年にこの山頂を見ていたものと考えられている[6]

イギリスの調査船2隻はビスコーにちなんで命名されている。イギリス南極調査所 (British Antarctic Survey) のフォークランド付設調査所 (Falkland Islands Dependencies Survey) に所属する調査船「HMS Pretext」は、砕氷船として改装された後、「RRS John Biscoe」(1944年建造)と改称された。その後、この船は1956年に「RRS Pretext」と改称され、ビスコーの名はより大型の新造船「RRS John Biscoe」(1956年建造)に与えられた。

脚注

[脚注の使い方]
  1. ^ Rosanne Walker. “Biscoe, John (1794–1843)”. Encyclopedia of Australian Science. 2010年3月27日閲覧。
  2. ^ グレアムランドという地名は、今日では南極大陸の北端部分の全体を指す呼称となっている。
  3. ^ Mastro, Jim; Lisa Mastro (1998-2006). “History”. Antarctic Online. 2006年8月13日時点のオリジナル[リンク切れ]よりアーカイブ。2007年1月3日閲覧。
  4. ^ John Biscoe collection”. The Archives Hub. 2012年7月21日時点のオリジナル[リンク切れ]よりアーカイブ。2010年3月27日閲覧。
  5. ^ Ann Savours. “Biscoe, John (1794–1843)”. Australian Dictionary of Biography. 2010年3月27日閲覧。
  6. ^ Biscoe, Mount”. Geographic Names Information System. 2010年3月27日閲覧。

参考文献

  • John Biscoe, edited George Murray, From the Journal of a Voyage towards the South Pole on board the brig Tula, under the command of John Biscoe, with the cutter Lively in company, Royal Geographical Society, London: 1901.

外部リンク


「John Biscoe」の例文・使い方・用例・文例

Weblio日本語例文用例辞書はプログラムで機械的に例文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「John Biscoe」の関連用語

John Biscoeのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



John Biscoeのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのジョン・ビスコー (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。
Tanaka Corpusのコンテンツは、特に明示されている場合を除いて、次のライセンスに従います:
 Creative Commons Attribution (CC-BY) 2.0 France.
この対訳データはCreative Commons Attribution 3.0 Unportedでライセンスされています。
浜島書店 Catch a Wave
Copyright © 1995-2025 Hamajima Shoten, Publishers. All rights reserved.
株式会社ベネッセコーポレーション株式会社ベネッセコーポレーション
Copyright © Benesse Holdings, Inc. All rights reserved.
研究社研究社
Copyright (c) 1995-2025 Kenkyusha Co., Ltd. All rights reserved.
日本語WordNet日本語WordNet
日本語ワードネット1.1版 (C) 情報通信研究機構, 2009-2010 License All rights reserved.
WordNet 3.0 Copyright 2006 by Princeton University. All rights reserved. License
日外アソシエーツ株式会社日外アソシエーツ株式会社
Copyright (C) 1994- Nichigai Associates, Inc., All rights reserved.
「斎藤和英大辞典」斎藤秀三郎著、日外アソシエーツ辞書編集部編
EDRDGEDRDG
This page uses the JMdict dictionary files. These files are the property of the Electronic Dictionary Research and Development Group, and are used in conformance with the Group's licence.

©2025 GRAS Group, Inc.RSS