Jiyunとは? わかりやすく解説

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紀昀

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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/10 21:50 UTC 版)

紀 昀(き いん、雍正2年6月15日1724年8月3日) - 嘉慶10年2月14日1805年3月14日))は、中国代の官僚・学者。暁嵐(ぎょうらん)[1]。号は石雲観弈道人孤石老人。河間府献県の出身だが先世は江南から明の成祖が命じた移民。本貫は応天府上元県。祖父は紀天申。紀容舒の次男。『四庫全書』の総編集にあたる。外祖母張氏の大叔父が明末の宦官曹化淳であり閲微草堂筆記の巻頭にその話がある。「六掌僉都」と称された。

略歴

1747年に首席で郷試に合格、1754年に第5位で進士に合格し、翰林院編修から侍読学士に出世した。しかし1768年に姻戚で地方官を務めていたものに失態があって、朝廷にあった彼が事前に内報したために罪に連座したものとされ、ウルムチの辺境守備隊付として左遷された。1771年に赦免され、翰林院編修に復帰した。

1773年から始まる四庫全書をつくるという事業の総纂官に任命され、その後は侍読学士・内閣学士を歴任し1805年には礼部尚書協弁大学士に就いたが、同年2月に亡くなった。朝廷から「文達」というを授けられたため、紀文達公とも呼ばれる。

紀昀は四庫全書の総纂官として権力を振るい、学者たちが執筆した提要のすべてに目を通し、ほとんど全文を自分で書き直してしまったこともあるという。『四庫提要』は紀昀の著作といってよいほど、すみずみまで彼の手が加わっているとも評される。思想界の中心を占めていた宋学には反感を持ち、あまり当時認められていなかった戴震を四庫館に採用したことなどは、紀昀の視野の広さを示す。

乾隆帝に寵愛された名文家でありながら、書いた詩文の類はいっさい保存しようとせず(申し出があっても断っていた)、学術論文は一切書いていないことなどは、後世の学者に批判されることになった。

志怪稗史(怪談奇談)を集めた『閲微草堂筆記』が残されている[2]

日本語訳

上:ISBN 978-4582766417、下:ISBN 978-4582766431
明治書院中国古典小説選11〉、2008年。原文対比、49篇の抄訳。底本は道光十五年(1835年)序の付いた北平盛による重鐫版。ISBN 978-4625664106

注・出典

  1. ^ 紀昀(きいん)とは?”. 日本大百科全書. 2023年1月31日閲覧。
  2. ^ 『清史稿』清史稿 卷三百二十 列傳一百七 紀昀の条。 中国語版ウィキソースに本記事に関連した原文があります:清史稿/卷320
  3. ^ クロダマミコ、大阪生まれ。法政大学 文学部日本文学科 教授。
  4. ^ フクダモトコ。聖学院大学 非常勤講師。

集韻

(Jiyun から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/02/23 22:13 UTC 版)

集韻(しゅういん)とは、宋代に作られた韻書の一つ。景祐6年(1039年)丁度らによって作られた勅撰の韻書である。平声4巻・上声2巻・去声2巻・入声2巻の全10巻。

『広韻』の206韻を踏襲しているが、順序や韻字に一部違いがみられる。諸橋轍次の『大漢和辞典』の主な反切は集韻によっている。

成立

『集韻』の引例によれば、『広韻』はすでに成立から30年近く経ち、内容が古く、字体も不適切なものが多かったため、これを修正、補充する目的で編纂が命じられた。『集韻』と同時に簡略化された『礼部韻略』も編纂され、景祐4年(1037年)、先に完成した。

概要

引例によれば、『集韻』は『広韻』よりも27,331字多い53,525字を収めているとあるが、これは多くの異体字を収めたことによるところが大きい。また、一つの字が複数の韻に属する場合に分けて数えており、異なり字数は32,381字である[1]

『集韻』には古体・或体・俗体などに限らず、典拠があるものすべてが収められ、ある種の異体字字典としての価値を持っている。

解釈は『説文解字』にあるものを優先して載せる。

『広韻』と『集韻』はともに206韻に分けるが、『広韻』が『切韻』の改訂版として作られたのに対し、『集韻』は反切用字が『広韻』と29%しか一致せず[2]、訓釈や小韻の並び順も異なっているため、通常は切韻系韻書には含めない。

テキスト

『集韻』はあまり利用されず、宋代のうちにすでに稀覯書となっていた[3]。南宋の刊本が3種類現存しており、出版された場所によってそれぞれ金州本・潭州本・明州本と呼ばれる。元・明には刊行されていない。『広韻』を再発見した顧炎武も『集韻』は見ることができなかった。のちに明州本の毛扆による抄本を元にした曹寅の楝亭五種本が刊行され、朝の学者はこれを利用した。

類篇との関係

『集韻』の配列を部首順に改めて作られた字書が『類篇』である。『類篇』は治平4年(1067年)に完成した。45巻からなり、31319字を『説文解字』の部首にしたがって配列している。同じ部首の文字の配列はおおむね『集韻』の出現順になっている。

『集韻』以前の切韻系韻書と『玉篇』とを共せて「篇韻」というが、『集韻』は『類篇』とあわせて「篇韻」という。

脚注

  1. ^ 張(1999) p.149
  2. ^ 水谷(2004) p.58
  3. ^ 張(1999) p.129

参考文献

外部リンク

  • 集韻 (早稲田大学図書館古典籍総合データベース)
曹寅刻本をもとに顧千里が修補した本の光緒2年(1876年)重刊本



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