JUST A BEAT SHOW
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2015/10/23 09:58 UTC 版)
この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。 出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(2015年1月) |
『JUST A BEAT SHOW』 | |
---|---|
オムニバス の コンピレーション・アルバム | |
リリース | 1986年5月 1993年4月25日(再発) |
録音 | 渋谷屋根裏 |
ジャンル | J-POP ロック |
レーベル | major RECORD(インディーズ) |
『JUST A BEAT SHOW 』(ジャスト・ア・ビート・ショー)は、1986年3月8日に渋谷屋根裏で開催されたライブを収録したオムニバス・アルバム。
概要
1986年5月にアナログ盤としてリリースされた。1986年から1987年にインディーズでわずか2000枚しか発売されなかった稀少盤であったが、1993年にCD化され再発された。また、2002年にも紙ジャケット・リマスタリング仕様で再発された。なお現在は廃盤となっている。ラインが2本、ノイズ、マイクが2本の4チャンネル録音であるため音質は良くない。
THE JUMPSのボーカル、島菊次郎の呼びかけで集まった4つのバンドの楽曲が収録されている。当初THE LONDON TIMES、THE BLUE HEARTS、THE JUMPSに加えホルモンズの4バンドで1985年12月にレコーディング・ライブは行われていたが、機材トラブルによりレコーディングに失敗していた。再度撮り直しをしようと計画していたところ、ホルモンズは解散してしまい、急遽レピッシュが参加した経緯がある。また、1曲目に当時無名に近かったレピッシュが選ばれたのは、収録曲の冒頭でボーカルのMAGUMIが「ジャ、ジャ、ジャスト、ア、ビート、ショー!」と叫んだためである。
THE BLUE HEARTSは当時ドラマーが不在であったため、ヘルプとして当時KENZI&THE TRIPSで叩いていた佐藤シンイチロウが参加していたが、偶然にも梶原徹也がこのライブでチケット切りをしていた。この直後、梶原はTHE BLUE HEARTSに加入することになる。
収録曲
- 美代ちゃんのハッパ / LÄ-PPISCH
- OLD O'CLOCK / LÄ-PPISCH
- めがねの日本 / LÄ-PPISCH
- 無気力な時代に生きている / THE LONDON TIMES
- SUNSHINE GIRL / THE LONDON TIMES
- MONDAY TO FRIDAY / THE LONDON TIMES
- ハンマー (48億のブルース) / THE BLUE HEARTS
- 人にやさしく / THE BLUE HEARTS
- 未来は僕等の手の中 / THE BLUE HEARTS
- NOTHIN' TO DO / THE JUMPS
- JUMPIN' STRAY ROCKER / THE JUMPS
- COOL NIGHT / THE JUMPS
「JUST A BEAT SHOW」の例文・使い方・用例・文例
- テストでAをとる
- オールA, 全優
- Apr.はAprilの略語です
- 彼女はいつも試験でAを取る
- その線は点Aでもう一本の線と交差している
- ABC航空をご利用いただきありがとうございます
- A級のミルク
- その辞書をとってくださいto Aの形をとって
- A型肝炎
- 直線ABに平行に線を引きなさい
- 寄贈者の名をABC順に表にした
- 「今学期の成績はどうだった」「かなりいい成績を取ったよ.Aが4つに,Bが2つ」
- Aマイナスの成績
- テープのA面を聞く
- 私の名のつづりはT, H, O, M, A, Sです
- 彼女はまたAから始めた
- ABCタクシーは2年前に開業した
- ビタミンA
- A(の業務)をBにアウトソーシングする
- 私はまず、この点をAmandaに確認します。
固有名詞の分類
- JUST A BEAT SHOWのページへのリンク