HP.80案
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/16 01:31 UTC 版)
「ハンドレページ ヴィクター」の記事における「HP.80案」の解説
ハンドレページは、航空省仕様B35/46に対し、HP.80案を作成した。高い要求水準に応えるために、HP.80案においては主翼の形状として、社内の技術者ラックマンによって開発された三日月翼を採用していた。 ハンドレページHP.80案とアブロType 698案はともに仕様B35/46に選定され、2機の試作機が製造されることとなった。両案とも技術的に高いところを狙っており、この保険としてより堅実な設計のビッカース ヴァリアントも同時期に開発されていた。ヴァリアントは早期に就役することも期待されていた。三日月翼の開発にあたっては、三分の一のスケールモデル・グライダーであるHP.87及びスーパーマリン アタッカーを改装したハンドレページ HP.88を製造し、試験している。HP.88は1機が製造されたが、初飛行後2ヶ月で墜落し、有用なデータはあまり得られなかった。HP.87も有用とは言えず、それらのデータをあまり用いずに開発は進められた。 試作機(シリアル WB771)は、工場で完成後、分解され陸路でRAFボスコムタウン基地へと輸送された。組み立ての後、1952年12月24日に初飛行している。 試作機の飛行性能は良好であったが、WB771は1954年7月14日に墜落し、失われている。クランフィールド飛行場上空を低空飛行中に、金属疲労の影響により、水平尾翼の三本のボルトが折れ、水平尾翼が分解したために発生した事故であった。試作機では、尾部の重量過大が指摘され、バラストによって調整がなされていた。量産型においては、尾翼の重量が軽減され、取り付けボルトが強化されたほか、乗員脱出口をエンジンのインテイクから遠ざけるため、機首が延長されるなどしている。
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