F・L・ジェイコブス社
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「ハリー・G・ガーランド」の記事における「F・L・ジェイコブス社」の解説
1959年3月18日、米国連邦地方判事トーマス・パトリック・ソーントン(英語版)は、F・L・ジェイコブス社(F.L. Jacobs Company)の管財人にハリー・G・ガーランドとアーサー・B・ファイデラー(Arthur B. Pfleiderer)を任命し、連邦倒産法の下での会社更生を命じた。F・L・ジェイコブス社の破産は、「近年の全米第4位の企業金融スキャンダル」と評された。ソーントン判事の判決が下った当時、F・L・ジェイコブス社は1959年初頭にアレクサンダー・グテルマ(英語版)から会長職を引き継いだハル・ローチ・ジュニア(英語版)が率いていた。1960年にグテルマは不適切な会計処理などの罪で実刑判決を受けた。F・L・ジェイコブス社は、ミシガン州に製造工場を持ち、ニューヨークには豪華なオフィスがあった。ソーントン判事は同社を「違反の掃き溜め」(a cesspool of violations)と評した。 ガーランドとファイデラーがF・L・ジェイコブス社の複雑な財務問題を解決する仕事に就き、ガーランドは同社の2つの事業子会社の社長に就任した。グランドラピッズ・メタルクラフト社(Grand Rapids Metalcraft Corp.、F・L・ジェイコブス社が1936年に買収)とコンチネンタル・ダイキャスティング社(Continental Die Casting Corp.)である。1959年末、『デトロイトニュース』紙でこれら2つの会社の損失が大幅に削減されたことが報じられ、1960年初頭には、ガーランドは会社が黒字で運営されていると報告した。 2つの事業子会社を順調に経営する一方で、ガーランドとファイデラーはF・L・ジェイコブス社の過去の債務を清算し、会社更生を完了させることができた。7年後、ガーランドとファイデラーは、1510万ドルの負債を抱えていたF・L・ジェイコブス社を、存続可能な状態に戻した。裁判所は最終的な会社更生完了の判決において、ガーランドとファイデラーを称賛し、グランドラピッズ・メタルクラフト社とコンチネンタル・ダイキャスティング社が「それぞれの分野におけるリーダー」に復帰したと評した。 F・L・ジェイコブス社が倒産状態から脱却すると、ガーランドは同社の会長に任命された。ガーランドは1971年まで会長職に就いていたが、『ウォールストリートジャーナル』紙の報道によれば、「手綱を若い者に譲る」と言って会長職を辞した。
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