E, Moj Narode ツアー
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「トンプソン (バンド)」の記事における「E, Moj Narode ツアー」の解説
2002年に『E, Moj Narode』をリリースして以降、トンプソンはアルバムの販促のためのツアーを行った。ツアーの絶頂となったのはスプリトのポリュド競技場(en)で行われた「壮大な」 ものであった。コンサートには4万人の観衆が集まった。「Lijepa li si」を披露するときには、ミロスラヴ・シュコロ、アラン・ヴィタソヴィッチ、マテ・ブリッチ、ジュリアーノ、ムラデン・グルドヴィッチが共にステージに上がった。コンサートではペルコヴィッチは再び、彼の曲が3つの愛(神、祖国、そして家族)を標榜していることを繰り返した。 コンサートは同時に、多くの論争を巻き起こした。客席の2つは旧ユーゴスラビア国際戦犯法廷に訴追され、当時裁判中だったミルコ・ノラツ(Mirko Norac)、および当時逃亡中であったアンテ・ゴトヴィナのために用意されていた。コンサートの冒頭では、ペルコヴィッチがステージに上がるまでの間、観客は第二次世界大戦当時のクロアチアのファシストであるウスタシャの曲「Evo zore, evo dana」(en)を歌った。 2003年には、トンプソンはベスト盤『Sve najbolje』を発表。2004年にはバンドのヴォーカル兼ベースのティホ・オルリッチがソロ・アルバム『Tiho』を発表した。このアルバムにはトンプソンの曲を2曲収録し、またマルコ・ペルコヴィッチとも共演している。 このツアーは2005年にも散発的に行われた。国際的には、シドニーのシドニー・エンターテイメント・センター(Entertainment Centre)、メルボルンのヴォーダフォン・アリーナ(Vodafone Arena)で5月に行われた。ツアーの終わりには、アルバムの売上げは6万枚を超え、クロアチアでゴールド・レコードとなった。 2006年の6月にマルコ・ペルコヴィッチは、難病を抱える子どもたちと家族を支えるためにマクシミル(Maksimir)で行われた有名人によるサッカーの試合に加わった。
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