BP230の発見
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/10 13:59 UTC 版)
1953年、米国・ハーバード大学のウォルター・レーバー (Walter F. Lever) が老人の表皮の水泡を水疱性類天疱瘡 (bullous pemphigoid:BP) として最初に記載した 。 1967年、レーバーは、水疱性類天疱瘡の患者が自分の皮膚の基底膜に対する抗体(自己抗体)をつくっていることを、蛍光抗体法(immunofluorescence) で発見した 。病気の原因を、自己抗体が自分の皮膚を破壊するためだと突き止めた。 1986年、米国のジョンズ・ホプキンス大学のディアズは、水疱性類天疱瘡の患者の自己抗体を使い、免疫ブロッティング法で、自己抗体に反応する5つのタンパク質(つまり、抗原)を同定した。内2つが主要で、分子量は240 kDaと180 kDaだった。2つとも、半接着斑に局在することも確かめられた 。240 kDaは、後に230 kDaと修正(さらに315 kDaと修正)されるが、この記事で説明するタンパク質・BP230である。なお、180 kDaはBP180だった。 1989年、cDNAが単離され、塩基配列が解明され、ヒト染色体6にあると同定された。
※この「BP230の発見」の解説は、「ジストニン」の解説の一部です。
「BP230の発見」を含む「ジストニン」の記事については、「ジストニン」の概要を参照ください。
- BP230の発見のページへのリンク