AC/DCへの復帰
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「フィル・ラッド」の記事における「AC/DCへの復帰」の解説
1991年、AC/DCがレイザーズ・エッジ・ワールド・ツアーの一環でニュージーランド・ツアーを行った時、バンドはラッドに、一緒にジャムをやる気はあるかと連絡した。ラッドはこの申し出を受け、遂には再雇用が決まった。 ラッドのドラミングのスタイルは、ラッドが不在の間にドラムを担当したサイモン・ライトやクリス・スレイド(Chris Slade)と比べても、バンドの他のメンバーのスタイルと最もよく馴染むものだと目されている。このため、クリス・スレイドの後を受けてラッドが復帰したとき、メンバーは皆これを歓迎した。クリス・スレイドは円満にバンドを離れることになった。バンドはスレイドの演奏と技能を讃えたが、同時に、1983年のもめ事以降AC/DCの音楽には欠けているものがあったとも述べた。その後、ラッドは『ボールブレイカー』、『スティッフ・アッパー・リップ』、『悪魔の氷』、『ロック・オア・バスト』とAC/DCの4枚のアルバムに参加し、『悪魔の氷』は、1981年の『悪魔の招待状』以降では最大のヒットとなった。
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