6人体制で訪れた解散の危機
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 05:03 UTC 版)
「関ジャニ∞」の記事における「6人体制で訪れた解散の危機」の解説
2018年2月に渋谷が事務所に脱退の意向を伝える以前に横山は渋谷から脱退の相談を受けており、渋谷脱退を最初にメンバーに伝える役割を担った。横山はパニックになり渋谷を止められなかった責任を感じ、解散ライブやもう潮時なのではないかと考え、村上に相談した。 2018年7月渋谷が脱退し、安田の負傷も重なり、6人で開催されたツアーは全員が満身創痍の状態であった。大倉は「絶妙に保っていたバランスが急に崩れ、心は擦り切れて限界に近づいていた」、村上は「メンタルが疲れていた。人生と向き合うタイミングになった」と説明。 5大ドームツアーと台湾公演を終えた2018年9月からグループ活動の休止や解散も視野に入れた話し合いが重ねられ、また自分の人生、今後の生き方についてメンバー全員で考え、翌2019年3月までに錦戸の脱退が決まった。 「世間的に見てリードボーカルがいなくなってるし、屋号(グループ名)を無くすか」という話しも出た中、横山と村上は二人きりで話し合いをし「(横山か村上の)どっちかが抜けるのはない。一蓮托生じゃないか。」と語り、安田は「グループを強くしてくれたのは脱退」と話した。
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