3.14から3.16への逆行
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 10:05 UTC 版)
「円周率」の記事における「3.14から3.16への逆行」の解説
しかし、遺題継承運動は1641年に始まって1699年頃には終わってしまい、いったん3.14に統一された円周率の値は江戸時代後半になると揺らぎ始め、古い3.16に逆行するという現象が生じた。文政年間(1818~30年)に出版された算数書とソロバン書を悉皆調査した結果では、円周率の値を3.14とするものと、3.16とするものの2系統があることが明らかにされた。いくらか専門的な数学書では3.14とされているのに、大衆向けの小冊子の中では3.16の方が普通に用いられていた。 当時の識者である橘南谿(1754-1806年)は「いまに至り3.16あるいは3.14色々に論ずれども、なおきわめがたきところあり」と述べ、3.14はまだ確定していないとしている。儒学者の荻生徂徠も和算家の算出した3.14の根拠に納得しなかった。当時の和算家のほとんどは、円に内接する多角形の周を計算することで円周率を計算した。内接多角形の角数を増やすほど求まる円周率の桁は増えていくので、素人目にはその値が増大する一方に見える。「それがいくら増えても3.1416を超えない」ということを和算家たちはついに納得させることができなかったのである。 そのような和算家以外の素人たちを納得させるには、どうしても万人に納得させる「理」に基づいて計算してみせる他はない。それを行うには西洋で行われたように、「円を内接多角形と外接多角形ではさんで、円周率の上限と下限を示すこと」が必要であったが、(次の鎌田による成果を例外として)和算家はついにその方法を取ることがなかった。
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