2016年、歴代最年少の三冠王者 - 宮原イヤー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/20 21:41 UTC 版)
「宮原健斗」の記事における「2016年、歴代最年少の三冠王者 - 宮原イヤー」の解説
2016年2月12日、第54代三冠ヘビー級王者の諏訪魔に挑戦する予定だったが諏訪魔がアキレス腱断裂により欠場・王座返上となったため、急遽開催された三冠ヘビー級王座の王座決定戦でゼウスと対戦し勝利する。宮原は史上最年少、または平成生まれ初の三冠ヘビー級王座戴冠となった。 3月21日、沖縄・豊見城市民体育館大会にて大森を挑戦者として初防衛に成功。 同年のチャンピオン・カーニバルでは三冠ヘビー級王者として出場したが、関本大介、秋山に破れ、真霜拳號と引き分けたため7点で終了し、優勝決定戦に駒を進める事はできなかった。5月25日後楽園ホール大会で宮原は関本を相手に防衛し、週刊プロレス誌の表紙を飾った。その後は6月に真霜、7月秋山、8月崔領二と防衛を重ね、三冠王者として王道トーナメントに挑む。だが、品川ステラボール大会での1回戦にて諏訪魔の渾身のレボリューションボムをまともに受け、敗退となった。その王道トーナメントを優勝した諏訪魔と11月27日両国国技館で三冠防衛戦を行い、宮原も自身の得意技であるブラックアウトをパワーボムで返されるなど苦しい展開が続いたが、諏訪魔のフェイバリットホールドでもあるラストライドを3度切り返し、とどめのシャットダウン・スープレックスで3カウントを取った。試合後、宮原は満員の国技館でも最高マイクで締め、翌週の週刊プロレス誌の表紙を飾り「宮原イヤー」と評された。 その宮原イヤーを象徴するかのように、宮原は12月14日のプロレス大賞において単独ノミネートかつ棄権者無しの満場一致で殊勲賞に選ばれた。全日本プロレスの所属選手が選ばれるのは4年ぶりで、本年は唯一の全日本勢の受賞であった。
※この「2016年、歴代最年少の三冠王者 - 宮原イヤー」の解説は、「宮原健斗」の解説の一部です。
「2016年、歴代最年少の三冠王者 - 宮原イヤー」を含む「宮原健斗」の記事については、「宮原健斗」の概要を参照ください。
- 2016年、歴代最年少の三冠王者 - 宮原イヤーのページへのリンク