2014年ウクライナ騒乱と暫定政権への参加
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「右派セクター」の記事における「2014年ウクライナ騒乱と暫定政権への参加」の解説
2014年ウクライナ騒乱では、反ヤヌコーヴィチ政権デモを独立広場(ユーロマイダン)および周辺で展開、暴力により警察側と対抗し、騒乱の中心的団体となり、ヤヌコーヴィチ政権打倒の原動力となった。党首のドミトリー・ヤロシはヤツェニュク暫定政権への入閣、ウクライナ国家安全保障・国防会議の副議長への就任を要請されたものの、閣内の反対や本人の固辞もあり、これは実現しなかった。なお、前身の極右団体トライデントのメンバーでもあるシェルヒー・クヴィットは教育科学大臣として暫定政権に入閣している。2014年3月上旬、ヤロシが北カフカスのイスラム系反政府指導者、ドク・ウマロフに対して連携を求める動きを示すと、ロシアは指導者のヤロシに対しテロ実行を呼びかけた罪などで起訴。国際刑事警察機構に対して国際手配をするよう要請したが、ウクライナ側はヤロシを逮捕し、他国に引き渡す根拠は無いとした。 2014年3月11日、右派セクターの中心人物でありウクライナ民族会議 ― ウクライナ人民の自己防衛のメンバーでもあったオレクサンドル・ムズィチコが西ウクライナのリウネで射殺された。この事件をきっかけに、暫定政権はそれまでの擁護姿勢から一転、右派セクターを取り締まりの対象とする動きを見せるようになる。 3月22日、右派セクターは極右民族主義団体とともに新政党を創設、同年5月に予定される大統領選挙にヤロシを擁立すると発表した。ただし、新政権内部でも右派セクターの過激な活動に危惧を示す政治家も存在するなど国民の支持を受けているとは言いがたく、3月時点の世論調査では、右派セクターの支持率は1%未満と低迷している。 4月以降、暫定政権によって発足した国家親衛隊の志願兵として、ウクライナ東部での親露派鎮圧の目的のために活動拠点をそれまでのキエフから、東部のドニプロペトロウシクに移した。 2015年末、新組織設立の準備のために創設者で党首のドミトリー・ヤロシが右派セクターを脱退。その後2016年3月19日にアンドレイ・タラセンコがヤロシの後任として代表に就任した。
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