2004年: 報告と公式の謝罪
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「スレブレニツァの虐殺」の記事における「2004年: 報告と公式の謝罪」の解説
2004年、国際社会によるボスニア・ヘルツェゴビナ上級代表、パディ・アッシュダウン(Paddy Ashdown)はスルプスカ共和国政府に対して、事件を調査する委員会の設置を命じた。委員会は2004年10月に報告書を公表し、スレブレニツァで行方不明、もしくは死亡した8,731人の名前を確認し、7,793人が7月10日から7月19日の間に、938人がその後のものであるとした。 委員会による調査報告はセルビア人の民族主義者の間では依然論争が残っており、これが上級代表の強い圧力の下、以前のスルプスカ共和国の冤罪を晴らす報告を破棄させるためのものであると主張した。しかしながら、スルプスカ共和国の大統領ドラガン・チャヴィッチ(Dragan Čavić)はテレビ中継された演説の中で、セルビア人勢力が数千人の市民を国際法に反して殺害し、スレブレニツァはセルビア人の歴史に暗黒の一章を加えたとした。 2004年11月10日、スルプスカ共和国政府は公式の謝罪を発表した。宣言は、政府による委員会の報告書の確認の後に行われた。ボスニア・ヘルツェゴビナのセルビア人政府は、次のように述べた。 報告書では、1995年7月にスレブレニツァ地域で行われた巨大な犯罪を明らかにした。ボスニア・ヘルツェゴビナのセルビア人政府は、スレブレニツァの犠牲者の家族が受けた悲哀を共有し、この悲劇に対して真に遺恨を表明し、謝罪する。
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