2002年の李登輝訪日中止への関与
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「小島朋之」の記事における「2002年の李登輝訪日中止への関与」の解説
2002年、慶應義塾大学の学術系サークルである経済新人会が、三田祭において李登輝・前台湾総統の講演会を企画した。櫻井よしこによると、小島は『産経新聞』(2002年10月2日)が講演予定を報じた2日後の2002年10月4日、李に訪日の再考を促すメールを送付した。 金美齢は、「小島教授は、事前の連絡が皆無、準備期間もなく困惑、自分と国分(良成)教授の面子が失われると書いて、せっかくの、学生たちによる李前総統への招待を退けようとしたのです」と述べ、小島の行動を非難した。これに対し小島は、「通知のなかったことは、従前の李前総統と私の交流の実績からみて遺憾で、私の面子は失われた」「時間的に今回は準備が困難」「ゆえに訪日は再考してほしい」「将来のことなら時間をかけて準備、歓迎したい」の4点を李側に伝えたとし、金がメールの内容を公表したことを非難した。 李登輝の代理人によれば、小島・国分側から、李を説得するため2人で訪台する旨が伝えられたが、李は「後ろ向きの説得なら会わない」として、面会を断った。 講演会は、李が日本の外務省からビザの発給を拒否されたことで訪日できなかったため、実現しなかった。
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