1995年 - 1998年
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「浦和レッドダイヤモンズ」の記事における「1995年 - 1998年」の解説
1995年に就任したドイツ人監督ホルガー・オジェックの下で躍進を遂げる。前年に加入した元ドイツ代表のDFブッフバルトの活躍によって守備が安定し、1995年の1stステージ(サントリーシリーズ)では3位になった。この年には創設時からの中心メンバーで、「ミスターレッズ」の愛称を持つ福田正博が日本人初のJリーグ得点王となった。同年サントリーシリーズは引き続いて大宮で主催試合を行ったが、NICOSシリーズが開幕する8月に駒場スタジアムの増築が完了し本拠地に復帰。 その後は中位にとどまることが多くなる。背景には、三菱自工の経営不振で補強資金が減少したこともある。 通年シーズンであった1996年は第22節で首位に立ったが、優勝の期待が高まる中終盤戦に勝ち星を伸ばせず最終的に6位で終了。 1997年、攻撃的サッカーへの転換を図り新監督にホルスト・ケッペルを招聘するも、全く内容が伴わずわずか1年で退団。シーズン終了後にはブッフバルトが退団、移籍。 1998年は三菱OBの原博実監督の下、新加入の小野伸二やゼリコ・ペトロヴィッチを擁して2ndステージで3位となった。
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