1989年:新たな挑戦者と自身への挑戦
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「シュテフィ・グラフ」の記事における「1989年:新たな挑戦者と自身への挑戦」の解説
1989年の初頭、グラフの更なるグランドスラム達成が話題となった。マーガレット・コートはグラフがあと1、2回はグランドスラムを達成する可能性があると述べた。その期待に応えるがごとく、全豪オープンでは決勝でヘレナ・スコバを破り優勝した。このトーナメントの準決勝でグラフがサバティーニを6-3,6-0で破った試合を見た業界ベテランのテッド・ティンリン(Ted Tinling)は、その感想を「今まで見た中で最も素晴らしい試合」と言い、さらに「シュテフィのサバティーニに対しての攻撃を見れば、彼女が他の誰よりも優れていることが分かる試合だった」と付け加えている。 グラフはその後ワシントンD.C.、サンアントニオ(テキサス)、ボカレイトン(フロリダ)、ヒルトンヘッド(サウスキャロライナ)の4つのトーナメントで連続優勝した。なかでもワシントンDCでは決勝でジナ・ガリソン相手に最初から20ポイント連続奪取。、ボカレイトンでは決勝までの7試合でクリス・エバートにわずかに1セット落としただけと、圧倒的な強さが目立った。 その後のアメリア島クレーコートの決勝ではサバティーニにこの年初の敗退を喫したが、続くヨーロッパのクレートーナメント、ハンブルクとベルリンでは圧勝した。 しかし、全仏オープンでは決勝で当時17歳のスペイン人プレーヤー、アランチャ・サンチェス・ビカリオにフルセットで破れ、グラフのグランドスラムトーナメントでの連続勝利がストップした。しかし、続く全英オープンでは準々決勝でアランチャ・サンチェス・ビカリオ、準決勝でクリス・エバート、決勝でナブラチロワを6-2,6-7,6-1で破り優勝した。 それからサンディエゴ、モーワーで楽勝し全米オープンを迎えた。そこでグラフは準決勝でサバティーニを、決勝でナブラチロワを破り、この年3つめのグランドスラムタイトルを取得した。続くチューリッヒ、ブライトンで勝ったあと、1989年を締めくくるバージニア・スリムス・チャンピオンシップの決勝でナブラチロワを下し、トップの座を不動にした。この年の戦績は86勝2敗で、落としたセットは12セットだった。
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