1968年のパ・リーグ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/21 14:55 UTC 版)
「プレーオフ制度 (日本プロ野球)」の記事における「1968年のパ・リーグ」の解説
この年は2連覇を目指す阪急と2年ぶりの王座奪回に燃える南海がともに残り1試合の段階で79勝50敗(勝率.612)で並んでいた。最終戦はともに10月11日で、阪急が西宮での東京オリオンズ戦、南海が日生での近鉄戦で、両チームの最終戦の結果が同じだった場合にプレーオフが行われる可能性があった。プレーオフは10月13日から3戦2勝制で行われる予定になっており、実施の場合日本シリーズ開幕も10月16日からに延期されることになっていた。 まず先に始まった西宮で阪急が9回裏に矢野清のタイムリーで同点に追いつき、延長11回に矢野が今度はソロ本塁打を放ち、東京に3-2とサヨナラ勝ち。気の早い阪急ナインはこの時点ではまだ優勝が決定していないにもかかわらず西本幸雄監督を胴上げしたが、西宮の試合が終わった8分後に日生で南海が近鉄の鈴木啓示を打ち崩せず敗れ、阪急がリーグ2連覇を達成した。 南海の監督の鶴岡一人はこの最終戦後に監督を退任。在任期間23年間であった。
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