1940年代の日本におけるクラシック音楽
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詳細は「紀元二千六百年記念行事」を参照 1940年は、神武天皇の即位から数えて2600年を祝う、紀元二千六百年記念行事が催され、音楽の分野においても皇紀2600年奉祝曲という形で、国内の作曲家のみならず、海外の作曲家に対しても委嘱を行った。 国内の作曲家ではすでに大御所となった山田耕筰がオペラ「黒船」を書き、大澤寿人や橋本國彦、深井史郎や尾高尚忠といった若手の新作なども発表された。中でも、信時潔の交声曲「海道東征」は、神武東征を題材にしたカンタータで、当時のナショナリズムを大いに刺激させた。 海外への委嘱作品としては、日独伊三国同盟を結んでいたことから、ドイツからシュトラウスの「日本の皇紀二千六百年に寄せる祝典曲」が、イタリアからはピツェッティの交響曲 イ長調が、またすでにヴィシー政権が誕生していたことから、フランスからイベールの祝典序曲が、また同じ枢軸国であったハンガリーからヴェレシュ・シャーンドルの交響曲第1番が送られた。他にもイギリスからベンジャミン・ブリテンがシンフォニア・ダ・レクイエムを送るも、作品の内容から演奏を拒否され、またアメリカにも委嘱をしていたが、日米関係の悪化から実現することはなかった。
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