1938年のベルリン区画改革
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「ベルリンの行政区」の記事における「1938年のベルリン区画改革」の解説
1938年4月1日付けで多くの区で境界線が改定され、区によっては大規模な区画変更となった。特に以下が挙げられる。 アイヒカンプ住宅団地(ドイツ語版)(ヴィルマースドルフ区→シャルロッテンブルク区) ルーレーベン(ドイツ語版)西部(シャルロッテンブルク区→シュパンダウ区) ユングフェルンハイデ(ドイツ語版)の内ベルリン-シュパンダウ船舶運河(ドイツ語版)より北側(シャルロッテンブルク区→ライニッケンドルフ区) マルティニケンフェルデ(ドイツ語版)(シャルロッテンブルク区→ティーアガルテン区) ヴィッテンベルク広場(ドイツ語版)およびノレンドルフ広場(ドイツ語版)周辺(シャルロッテンブルク区→シェーネベルク区) クーアフュルスト通り(ドイツ語版)南部(ティーアガルテン区→シェーネベルク区) グルーネヴァルト(ドイツ語版) の大部分(ヴィルマースドルフ区→ツェーレンドルフ区) ダーレム(ドイツ語版)の一部(ツェーレンドルフ区→ヴィルマースドルフ区) ツェーレンドルフ区南東部の大部分(→シュテーグリッツ区) シュペーツフェルデ(ドイツ語版)(ノイケルン区→トレプトウ区) ボーンスドルフ(ドイツ語版)(ケーペニック区→トレプトウ区) オーバーシェーネヴァイデ(ドイツ語版)およびヴールハイデ(ドイツ語版)(トレプトウ区→ケーペニック区) ボックスハーゲン=ルンメルスブルク(ドイツ語版)およびフリードリヒスベルク(ドイツ語版)の内、ベルリン環状線より西側(リヒテンベルク区→フリードリヒスハイン区(当時は「ホルスト=ヴェッセル=シュタット」)) ヴィルヘルムスルー(ドイツ語版)(ライニッケンドルフ区→パンコウ区) ヴォランク通り (Wollankstraße) 周辺部の内ベルリン北部線西側(パンコウ区→ヴェディング区) なおシェーネベルク区とテンペルホーフ区では、既に1928年と1937年に境界線の変更が行われていた。 第二次世界大戦の終結直後、在独ソ連軍政府は理由は今もって不明だが、1945年4月29日から同年6月30日までフリーデナウを21番目の区とし、区長にヴィリー・ペルヒェン (Willy Pölchen, KPD) を据えた。なおフリーデナウはこの後、再び従来と同じくシェーネベルク区の一地区となった。
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