1876年-1877年
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「肇敏 (練習艦)」の記事における「1876年-1877年」の解説
1876年(明治9年)2月20日、練習船から輸送船と変更された。 熊本県下に陸軍省の物品を輸送することになり、肇敏丸は10月24日熊本に到着した。島原では熊本の鎮台で火事が起きたなどのデマがあり、肇敏丸は同地に回航した。11月に鹿児島に回航したが、損傷箇所があり鹿児島造船所で修理を行った。その帰路には坐礁した雲揚の大砲などを運搬することになった。1877年(明治10年)1月17日午前に神戸港を出港し、18日午後に那智勝浦に到着した。2月3日、機器の搭載を終わり、雲揚乗員も便乗し午前8時30分に加田村(現紀北町長島加田)を出港、下田港を経由し、2月13日午前11時50分に横浜港に到着した。2月16日に横須賀ヘ回航、同地で雲揚の機械類を揚陸した。肇敏丸は同地で修理を行い、3月17日完成した。
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