16世紀、ラビ派ユダヤ教徒による記録
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「エチオピアにおけるユダヤ人の歴史」の記事における「16世紀、ラビ派ユダヤ教徒による記録」の解説
エジプトの首席ラビであるダヴィド・イブン・ジムラ(1479年~1573年)は、エチオピア出身で奴隷となった黒人女性について質問された。これに対する彼の回答は、当時のエジプトに住むユダヤ人たちによる、エチオピアのユダヤ人に対する認識をよく表している。 ……クシュの王たちによる戦いはよく知られている。かの地には3つの王国があるのだ。一つはイシュマエル派の王国、一つはキリスト教徒の王国、そしてもう一つはダン族の末裔、イスラエル人たちの王国だ。彼らの起源はサドカイ派、ボエトゥス派で、(今は)カライ派と呼ばれている。彼らは十戒の一部しか知らず、口伝律法に通じていないばかりか、安息日にロウソクを灯すことさえしない。戦争は今も絶えることを知らず、日々互いに捕虜を取り合っている…… 同じ回答書面の中で、彼はエチオピアのユダヤ人たちがラビ派に回帰するならば、アブラハム・ベン・マイモニデスの時代にラビ派に改宗したカライ派の教徒と同様、コミュニティに迎え入れるべきだと述べている。
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