1445年 - 1455年 バチカン
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「フラ・アンジェリコ」の記事における「1445年 - 1455年 バチカン」の解説
1445年にローマ教皇エウゲニウス4世がサン・ピエトロ大聖堂の秘蹟の礼拝堂のフレスコ画を描かせるために、フラ・アンジェリコをローマへと召致した。ヴァザーリは、このときフラ・アンジェリコはローマ教皇ニコラウス5世からフィレンツェ大司教の地位を提示されたが、これを断って別の修道士を推薦したと断言している。このエピソードは現在伝わっているフラ・アンジェリコの人柄からするといかにももっともらしく思えるが、もしヴァザーリの著作に書かれた日付が正確であるとするならば、当時のローマ教皇はニコラウス5世ではなくエウゲニウス4世である。1447年にフラ・アンジェリコは弟子のベノッツォ・ゴッツォリとともにバチカンを離れてオルヴィエートの聖堂で絵画制作を行っている。このとき同じく弟子だったザノビ・ストロッツィも同行したと考えられている。 フラ・アンジェリコは1447年から1449年にかけてバチカンに戻り、ローマ教皇ニコラウス5世の要請でバチカン宮殿のニッコリーネ礼拝堂 (en:Niccoline Chapel) のフレスコ画をデザインしている。これは初期キリスト教会の殉教者聖ステファノと聖ラウレンティウスの生涯を描いたフレスコ画で、制作に当たっては弟子がかなりの部分を描いているのではないかとも考えられている。ニッコリーネ礼拝堂は小規模な建物だが、輝くようなフレスコ壁画と金箔を用いた装飾とが宝石箱のような印象を与える礼拝堂である。1449年から1452年までフラ・アンジェリコはフィエーゾレ修道院に戻り修道院長も務めている。
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