1445年の遠征
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/08/04 03:10 UTC 版)
「スーズダリの戦い」の記事における「1445年の遠征」の解説
1445年の春にウルグ・ムハンマドは自身の息子であるマフムードとヤクブ率いる軍勢をルーシに派遣した。このことを知ったヴァシーリー2世は、昨年は上手くことが進んで安堵していたのでこの出来事を重視しなかった。ヴァシーリー2世はモスクワからユーリエフに入り、それから軍司令官であるフョードル・ドルゴルドフとユーリー・ドラニッツァが到着し、ニジニ・ノヴゴロドに残った。遠征軍は貧弱であった。イヴァン公とミハイル・アンドレヴィチ公とヴァシーリー・ヤロスラフヴィチ公は少数の戦力とともにヴァシーリー2世のもとに到着し、ドミトリー・シェミャーカ(ロシア語版)は遠征に全く参加しなかった。例の年代記によれば、ヴァシーリー2世の軍勢は数えてみたところ《1000人にも満たないくらいの》戦士であった。
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