1206年(1203年)成立説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/08/12 00:35 UTC 版)
「ヤサ」の記事における「1206年(1203年)成立説」の解説
1206年(1203年)成立説はチンギス・カンがモンゴル帝国を建国した1206年に「大ヤサ」が成立したとする説で、かつては定説として広く受け容れられていた。この説の根拠は『集史』に記される以下のような記述である: チンギス・カンはオン・カンの軍隊を破り、彼を傷心の息子とともに敗走させ、彼のケレイト諸部族を征服し、その国を占領したので、イスラム暦599年にあたる亥年(1203年)の冬に、テメーン・ケエルという場所で狩猟をし、凱旋して、意気揚々と自分の家に、祝すべきオルドに下営した。…[チンギス・カンは]大集会を開き、その大いなる恩恵へ感謝して確固たる良きヤサクを命じ、幸運にもカンに即位した。 — 『集史』「チンギス・カン紀」 しかし、前述したように「ヤサ」という単語は「法令」としての用法の他に「命令、軍令」といったニュアンスでも用いられており、この記述では「確固たる良きヤサク」が「法令」かどうかは明確でないと批判されている。実際に、同じ出来事を中国語に訳した『元史』では「帝既滅汪罕(オンカン)、大獵于帖麥該川(テメーン・ケエル)、宣佈号令、振凱而帰」と記されており、「ヤサ」は「法令」ではなく「号令」であると解釈されている。 ただし、他の説を唱える学者も1206年成立説を単純に否定するのではなく、あくまで「1206年に一度に大ヤサが成立した」とする説を批判しているのであって、1218年成立説にせよ1225年成立説にせよヤサは段階的に制定されたと想定し、1206年からヤサの整備が始まったこと自体は否定していない。
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