1206年以降にチンギス・カンに任命された千人隊長
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千人隊長ペルシア語表記(集史)漢字表記(秘史)所属部族備考アルカイ・カサル Arghāi Qasār Nūyān 阿児孩合撒児 中軍右翼 ジャライル 1206年時点では侍衛(turqa'ud)の長の一人 イェスン・テエ Yīsūn Tūā Ṭarqaī 也孫帖額 中軍右翼 ウリヤンハン 1206年時点では箭筒士(qorči)の長の一人 ドゴルク・チェルビ Dūqulqū Jarbī 多豁勒忽扯児必 中軍左翼 アルラト 1206年時点では侍衛(turqa'ud)の長の一人 オゲレ・チェルビ Ūkla Jarbī 斡歌連扯児必 中軍左翼 アルラト 1206年時点では侍衛(turqa'ud)の長の一人 クドカ・ベキ Qūtūqa Bīkī 忽都合別乞 中軍右翼 オイラト オイラト部の首長で、四つの千人隊を率いる クシャウル/ジュスク Qūshāūl/Jūsūq 火朱勒(聖武親征録) 中軍左翼 ジャジラト ジャジラト部の三つの千人隊を率いる ウヤル元帥 Ūyār Wānshī 烏葉児元帥(聖武親征録) 中軍左翼 カラヒタイ 契丹人からなる千人隊を十率いる,元史巻120に列伝あり トガン元帥 Tughān Wānshī 禿花元帥(聖武親征録) 中軍左翼 ジュルチ 女真人からなる千人隊を十率いる,元史巻149に列伝あり 1206年時点で成立した95の千人隊にここで挙げた9人が率いる33の千人隊を加え、更にチンギス・カン自身の千人隊を加えると、『集史』の記す「129の千人隊」と合致する。
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