龍源寺 (東京都港区)とは? わかりやすく解説

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龍源寺 (東京都港区)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/06/05 15:17 UTC 版)

龍源寺
所在地 東京都港区三田5-9-23
位置 北緯35度38分47.5秒 東経139度44分13.5秒 / 北緯35.646528度 東経139.737083度 / 35.646528; 139.737083座標: 北緯35度38分47.5秒 東経139度44分13.5秒 / 北緯35.646528度 東経139.737083度 / 35.646528; 139.737083
山号 瑞雲山
院号 龍翔院
宗派 臨済宗妙心寺派
創建年 不詳
開山 越渓宗格
開基 松嶺隠尼
中興年 18世紀前半
中興 奥平昌成
法人番号 2010405001549
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龍源寺(りゅうげんじ)は、東京都港区にある臨済宗妙心寺派寺院

歴史

創建年代は不明である。ただ開基の松嶺隠尼は米沢藩第2代藩主上杉定勝の娘であることから、江戸時代前期の創建と推測される。また当寺に安置されている「水月観音」に「永禄七年(1564年)」の記述があることから、戦国時代には既に存在していた可能性もある[1]

1624年寛永元年)の時点では、武蔵国豊島郡麻布今井村(現・港区六本木)に位置していたが、1700年元禄13年)に現在地に移転した[2]

18世紀前半、当寺第5世住職正天和尚に帰依した中津藩藩主奥平昌成によって中興された。これまで寺号が無く、院号の「龍翔院」を名乗っていたが、1739年元文4年)に「龍源寺」の寺号を名乗っている。大正期まで奥平家より香華料が送られていたという[1][2]

明治期、当寺は寺運衰微の極みであった。大正になって、ようやく再建の道筋が見えるようになってきた。幸いにも1923年(大正12年)の関東大震災1945年昭和20年)の空襲の難から免れることができた[1]

歴代住職

交通アクセス

脚注

  1. ^ a b c 沿革龍源寺
  2. ^ a b 東京市芝区 編『芝区誌』東京市芝区、1938年、1416p

参考文献

  • 東京市芝区 編『芝区誌』東京市芝区、1938年

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