龍源寺 (由利本荘市)とは? わかりやすく解説

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龍源寺 (由利本荘市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/06/17 15:31 UTC 版)

龍源寺

龍源寺 本堂

所在地 秋田県由利本荘市矢島町城内字田屋の下26
位置 北緯39度13分53.8秒 東経140度07分51.3秒 / 北緯39.231611度 東経140.130917度 / 39.231611; 140.130917座標: 北緯39度13分53.8秒 東経140度07分51.3秒 / 北緯39.231611度 東経140.130917度 / 39.231611; 140.130917
山号 金嶺山
宗旨 曹洞宗
本尊 釈迦如来
創建年 元和9年(1623年
正式名 金嶺山龍源寺
文化財 本堂(国の登録有形文化財
公式サイト 金嶺山龍源寺
法人番号 2410005002345
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龍源寺(りゅうげんじ)は、秋田県由利本荘市にある曹洞宗の寺院。山号は金嶺山。本尊は釈迦如来

歴史

打越氏の開基により即殿棼広を開山に招いて1623年元和9年)に創建された寺である。1640年寛永17年)におきた生駒騒動により讃岐生駒家4代高俊讃岐国高松から矢島の地に移されると生駒氏菩提寺となり、一方でこの地域における曹洞宗の触頭となった。

2016年、初代生駒親正着用の甲冑を讃岐生駒氏の菩提寺弘憲寺香川県高松市)に寄贈した。甲冑は1640年改易のときに矢島に移されたが1869年(明治2年)に生駒氏から龍源寺に寄贈されたという。高松への376年ぶりの里帰りとなった[1]

本堂

戊辰戦争により全堂宇消失[2]。本堂は1880年(明治13年)に再建された重厚な茅葺き屋根の造り [3][4]。桁行24m、梁間16mの大規模な木造寺院建築。2004年、国の登録有形文化財に登録[5]

埋葬されている著名人

アクセス

脚注

  1. ^ “生駒親正の甲冑376年ぶり里帰り 秋田→高松・弘憲寺に寄贈”. 産経ニュース. (2017年2月21日). https://www.sankei.com/article/20170221-WJTLHYQ32VLHDIZBOA3HHGYAHQ/ 2017年9月2日閲覧。 
  2. ^ 龍源寺 - 由利本荘市観光協会公式サイト
  3. ^ 龍源寺 - 秋田県WEB観光案内所
  4. ^ 講堂案内 - 龍源寺
  5. ^ 金嶺山龍源寺本堂 きんれいざんりゅうげんじほんどう - 文化遺産オンライン(文化庁)

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