齊藤ゾンビの経歴
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/01 10:09 UTC 版)
平野ユーレイと共にホラープランナーと名乗った最初の人物。「台場怪奇学校」の前身「台場怪奇屋敷」から携わる。平野ユーレイと共に「最恐のお化け屋敷」を目指すも、お客さんがいなくなって経営が悪化。自らの首を絞める結果になった件は有名。※出典お化け屋敷のつくり方お化け屋敷だらけのテーマパーク「オバケランド」を作ることを目指す。その後、二号店を出す、本を出版する、ラジオに出る、テレビに出る、CDを出す、映画に出る、お笑いに出る、司会をする、海外進出をするなど活躍の場を増やす。その姿は、同人漫画幽霊ゾンビシリーズに描かれ、お化け屋敷のつくり方(アールズ出版)を出版するに至った。お化け屋敷での長年の経験と知恵を基に独自のお化け屋敷演出方法「SAITO∞REAL方式」を編み出す。 台湾の東京恐怖学園のオープニングの記者会見の際に、ゲストの女性タレントをサプライズで脅かすも、毎回オンエアは顔がモザイクになってしまう事は本人もネタにしている。本人は、現場タイプであり、基本的に平野ユーレイが会議室タイプであるため、99プラスに出演した際には矢部浩之から、「ゾンビが全部やるんやね」と言われ、法円坂ホラー研究会に出演した際には小沢一敬から、「その声は現場で作り上げた声ですよね」と言われている。 齊藤ゾンビのオバジオ(外部リンク)
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