黄金鯛
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/23 09:10 UTC 版)
鯛生金山の名は、鎌倉時代に、肥後の豪族菊池氏の娘がこの地に嫁ぐこととなり、菊池氏が祝いに雌雄の鯛を贈ったところ、その鯛がこの地で飛び跳ねて向き合った石に変わり、鯛生石と呼ばれるようになったという言い伝えに由来する。 中津江村では、この言い伝えにちなみ、1991年(平成3年)にふるさと創生基金の1億円のうち7,354万円で雌雄一対の純金製の黄金鯛を作って、1992年(平成4年)から地底博物館の目玉として館内の坑道に展示していた。 2006年(平成18年)2月12日夜から13日朝にかけて、このうちの雄(盗難当時の価値で約6千万円相当)が盗難にあった。犯人は2007年(平成19年)11月21日に逮捕されたが、雄の鯛は溶かされて売却されていた。犯人は、後に岐阜県の大橋コレクション館からも金塊を盗む職業的な犯罪者であった。 現在、地底博物館には、黄金鯛のレプリカが展示されている。残った雌の鯛は、中津江村と合併した日田市が盗難を避けて金庫室で保管していたが、2012年(平成24年)11月26日に三菱マテリアルに売却することが発表された。金の値上がりによって売価は9,045万円になり、雌のみで盗難にあった雄の分もカバーすることができた。
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