麁鎌と壬生と冶金
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/11/04 15:52 UTC 版)
谷川健一は、記紀神話において伊弉冉尊が軻遇突智を産むに際して女陰(ほと)を焼かれて死んだとある叙述が、「火処(ほど)」とも呼ばれたたたら炉から溶解した金属を取り出す光景を髣髴とさせること、鍛冶屋の母や妻が産婆の役割を担っていたこと、南西諸島では新生児に対し金属のように丈夫に育つようにとの呪詞を発っしたり(奄美大島)、新生児を抱きかかえて火がもたらされたと伝わる竹富島を見せる産育習俗があったり(八重山列島)、全般に「カネ」や「カマ」、「カマド」といった金属や火に関する名前をつける風習があること、といった点に着目し、女胎から取り上げた子供を丈夫に育てることが、たたら炉から溶け出た金属を鍛えるという作業に重ねられ、そこから皇子や貴人の子供には丈夫に育つようにとの願いを込めて鍛冶や冶金に長けた氏族が壬生(養育係)として選ばれる習いがあったのではないかと推測し、更に、凡海氏と同族とされる阿曇氏には祖神を宇都志日金柝命(うつしひかなさくのみこと)とする伝えがあり(『古事記』)、その神名に見える「金柝」が金属に因むもので、その阿曇氏が各地の開墾や岩盤の開鑿伝承に現われることから、同氏が海部の伴造という海洋氏族であると共に朝鮮半島との交易を通じて金属器に深くなじんだ氏族でもあった可能性を指摘、同様に凡海氏も冶金技術に優れた氏族で、そのために天武天皇の壬生に選ばれたのではないか、少なくとも麁「鎌」という名前や冶金のために陸奥国に派遣されたことから、麁鎌が鉱山採掘や金属精錬に詳しい人物であったと思われる、とする。
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