(七代)鳥飼正良・郷右衛門・右仲
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/16 18:44 UTC 版)
「鳥飼家」の記事における「(七代)鳥飼正良・郷右衛門・右仲」の解説
俊徳院(松平定賢)の代、寛延3年(1750年)11月に父郷右衛門の家督130石を譲り受け、宝暦6年(1756年)4月には、御大小姓役を賜り、宝暦13年(1763年)2月病身となり馬廻役を退いたとある(天明由緒)。しかし、正良の「覚書」に寛延3年(1750年)家督を相続し寛政8年(1796年)まで47年間守ったとあり、病気はあったもののむしろ当時としてはかなり長寿であった。この間天明2年(1782年)に郷右衛門を襲名しており、天明由緒の郷右衛門に他ならない。さらに後年隠居して右仲を名乗っていた。 【襲名(しゅうめい)と偏諱(かたいみな)】 襲名とは、名前すべてを受け継ぐことで、家督相続に伴うものである。歌舞伎役者などが判りやすい例であり、何代目を付けることで人物を特定することができる。 偏諱とは、主君や目上の人から1字を貰って名前にすることで、古くからおこなわれてきた習慣である。鳥飼家においても、この代より名前に「正」の文字が使われるようになったが、先祖が仕えていた福島正則公にも正の字を偏諱としていたことが判る(正則の息子に正友・忠勝・正利・正之が、忠勝の子に正長、孫に正勝がいる)。 享年は、栄司の親類書が文化8年(1811年)に作成されて、同年に亡くなっている。
※この「(七代)鳥飼正良・郷右衛門・右仲」の解説は、「鳥飼家」の解説の一部です。
「(七代)鳥飼正良・郷右衛門・右仲」を含む「鳥飼家」の記事については、「鳥飼家」の概要を参照ください。
- 鳥飼正良・郷右衛門・右仲のページへのリンク