魔球投手・飛雄馬のその後
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「大リーグボール」の記事における「魔球投手・飛雄馬のその後」の解説
飛雄馬は左腕時代に大リーグボールで腕を破壊したので、1976年に飛雄馬が右腕投手として復帰したとき、長嶋は危険な大リーグボールを不要とし、飛雄馬を最後まで速球投手として使おうと考えていた。しかし、日本シリーズで阪急に打たれため、3年目で飛雄馬がついに魔球を開発。 その後、魔球がライバル達に打たれ、ヤクルトが優勝した後、『巨人のサムライ炎』での飛雄馬はこの時の彼としては珍しく「俺はもう終わりなのか」と号泣。 巨人が江川卓の入団を迎えた翌1979年のシーズン中、飛雄馬は水木炎と勝負し、水木を蜃気楼の魔球で討ち取る。その後、長嶋から「来季は現役として契約できまいが、一軍のコーチとして球団に残ってくれ」という内々の要請を受ける。 飛雄馬はその場で一軍ではなく二軍コーチ就任を希望。飛雄馬は水木の入団テストを行い、合格した水木は体力強化の為に飛雄馬から大リーグボール養成ギプスを譲り受けた。これが飛雄馬の最後の出番となり、それ以降は登場していない。 一方、アニメ版『新巨人の星II』ではラストがまったく異なり、「史実」ではヤクルトに優勝を奪われた長嶋巨人が、物語内では優勝。飛雄馬は日本シリーズで大リーグボール左版1号、2号、3号、右1号を取り混ぜ完全試合を達成し、シリーズMVPを獲得する。その後、巨人を退団し、野球留学のため仲間に見送られてアメリカへと船で旅立つところで物語は完結する。
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