魔女狩りの発生と終焉
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/07 20:53 UTC 版)
「キリスト教の歴史」の記事における「魔女狩りの発生と終焉」の解説
「魔女狩り」も参照 しばしば異端審問の一部として語られることが多い魔女狩りであるが、実際にはその時期・地域ともに異端審問と重なる部分がほとんどないことがわかっている。というのも異端審問が盛んに行われたのは12世紀から13世紀の南フランスおよび北イタリアであったが、魔女狩りは16世紀から17世紀にかけてドイツ、フランス、イングランド、スコットランドなどで起こっているからである。魔女狩りは本来、農民や一般市民の間で私刑のかたちで行われていたが、15世紀の終わりになって魔法を用いるものは悪魔と契約していると考えが広まったことで聖俗両権力者たちも迫害に乗り出すようになった。 魔女狩りが行われた理由や急速に衰退した理由については多くの説が提示されているが、確実とされるものはまだない。19世紀には金銭目的、あるいはひそかに生き残っていた古代宗教への弾圧といった説も出されたが、現在では受け入れられていない。魔女狩りはカトリック・プロテスタントを問わず行われたが、ヨーロッパ全域で長期にわたって起こったわけではなく、実際には特定の地域で、特定の時期に集中して発生したことがわかっている。また異端審問所が魔女狩りを推し進めたという言い方も不正確で、15世紀の終わりに設立されて16世紀に盛んに活動したスペイン異端審問では魔女は審議の対象にならず、同じく16世紀にローマに教皇庁直属の異端審問所が設けられたにもかかわらず、イタリアではほとんど魔女狩りは起こらなかった。 魔女狩りは中世というよりはむしろ近世初期に突如として沸騰した社会現象であった。かつて魔女狩りでは数百万人が虐殺されたといわれた時期もあったが、現代の歴史家たちの研究によって全期間を通じての犠牲者数は多くて四万人と見積もられている。
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