髪は女の命か
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/10/28 21:09 UTC 版)
「女の命」と大事にされた黒髪も火急の際には単なる邪魔者でしかない。 酒で腐った衣をまとい、髪を剃り上げて鬘にすることで屈強の武士から逃れたサホビメの物語は伝説だとしても、壇ノ浦の戦いの際、入水した女性たちが長い髪を熊手で絡め取られて捕虜となった様に、髪を捕まえられると逃走や抵抗が難しくなってしまう。 鎌倉時代には短垂髪といって、せいぜい腰の辺りまで垂らした髪を一つにまとめておく髪型が侍女などに行われるようになった。後にはこちらが主流となっていく。 更に身近な桂女や大原女といった、自ら立ち働く庶民の女性たちは、髪を何か所かに分けて括って頭の周りに巻きつけてから手ぬぐいを被った。 安土桃山時代には、遊女などの間で結髪の慣習が復活し、高位の女性や神社の巫女を除いて垂髪は廃れていった。
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