高速道路用地へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/01 01:25 UTC 版)
「東急バス大橋営業所」の記事における「高速道路用地へ」の解説
1986年(昭和61年)、首都高速道路公団(現・首都高速道路会社)の投資計画で中央環状線西側の建設が内定。しかし、バブル景気の影響で都市計画決定は遅れ、1990年(平成2年)までずれ込んだ。大橋営業所の用地には大橋ジャンクションが建設されることとなり、元電車車庫という特異な土地の形状と、さらに不足する用地を補う目的や一帯の再開発事業のため、当営業所周辺の商店や住宅も同時に立ち退きの対象となった。東急はいずれ土地を手放すという道筋が決まり、大橋営業所は長期的に存続できなくなる方向となる。 「首都高速中央環状線#歴史」および「大橋ジャンクション」も参照 しかし、バブル崩壊による首都高速道路公団の投資計画の狂いが大きく、用地買収は遅れていく。1999年(平成11年)、山手トンネルにかかる都市計画の変更決定を経て建設はいよいよ本格的に動き出す。東京急行電鉄交通事業部から独立した東急バスもこれに対応、大橋の受け持ち路線と車両を他営業所へ段階的に移管することにした。この際に野沢線が東急トランセ管理委託第1号路線に選ばれ、下馬営業所に移管された。 2002年(平成14年)3月15日、松陰線が弦巻営業所に移管され、玉電代替以来の系統がすべて姿を消すと、旧不動前営業所以来一貫して担当した品川線も同年7月15日限りで目黒営業所へ移管されり、最後まで残った等々力線も同年9月15日限りで瀬田営業所に移管された。翌9月16日に大橋営業所は廃止され、33年間の歴史に終止符を打った。 営業所の廃止に伴い、出入庫を兼ねた「大橋車庫」、「大橋」発着便も廃止されたが、「大橋」停留所は以前と同じ位置に存続している。
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