高畠華宵関連
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1929年(昭和4年)発行の雑誌『日本少年』の巻頭口絵は高畠華宵の「さらば故郷!」であった。当時10歳であった鹿野は強烈に感動し、出征するまで勉強部屋に保管しておいたが、敗戦により復員したときには失われていた。 1965年(昭和40年)3月に華宵(当時77歳)が兵庫県の明石愛老園にいることを知り、「『さらば故郷!』のような絵を再び描いていただければ…」と手紙を送る。華宵からは折り返し返事があり、その後『新さらば故郷!』を送られるに至った。自宅には、華宵作品を集めた「華宵の間」をつくり、一般にも公開するようになった。華宵も度々滞在することになった。10月には「華宵会」を結成した。 1966年(昭和41年)7月31日、華宵没す。看取ったのは鹿野と加藤謙一であった。鹿野は告別式を営み「さし絵葬」と命名した。
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