高橋・南海時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/05 08:46 UTC 版)
その後は1954年に高橋ユニオンズ、1955年に南海ホークスと移籍したが、全盛期の頃のパワーはなく、代打としての出番が多くなった。 10月9日の近鉄戦第2試合で南海は筒井敬三の本塁打などで、近鉄は小玉明利の本塁打などで9回を終了し4-4の延長戦に突入。そして10回裏深見が打席で、リリーフ佐藤良一からサヨナラ2ラン本塁打を放つ。これで南海はシーズン最終試合を勝利で締めくくり通算99勝とし、1950年にセの松竹が記録した98勝のシーズンチーム最多勝利記録を更新した。この記録も現在まで破られていない。そして、この本塁打が深見の現役最後の本塁打となった。巨人との日本シリーズでは10月22日の第6戦(後楽園)で別所毅彦から本塁打を放っている。 中大の後輩である穴吹義雄の入団の仲介をしたこともあったが、1957年限りで現役を引退。
※この「高橋・南海時代」の解説は、「深見安博」の解説の一部です。
「高橋・南海時代」を含む「深見安博」の記事については、「深見安博」の概要を参照ください。
- 高橋・南海時代のページへのリンク