馬主のデニス・オケリーについて
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/06 09:46 UTC 版)
「エクリプス (競走馬)」の記事における「馬主のデニス・オケリーについて」の解説
エクリプス3人目の馬主であるデニス・オケリー(Dennis O'Kelly、1720,28年? - 1787年)は、18世紀後半にイギリスで名をはせた賭博師。もとはアイルランドの貧しい農家の生まれで、ロンドンに出て怪しげな商売をしていたという。一時はその饒舌と端麗な容姿が受けて社交界の寵児となっていた時期もあったが、ビリヤードなどの賭博で金を使い果たし破産、流刑になる。 しかし運のいいことに流刑予定地アメリカで独立前の混乱が起こり、囚人船が出発できずロンドンに逆戻り、さらに1760年10月にジョージ2世死去に伴う特赦で釈放された。その後は成功者の道を歩み、囚人船の中で知り合ったシャーロット・ヘイズと組んで行った賭博がことごとく成功し、ついには金の力で大佐の地位まで手に入れる。後に馬産家としても成功した怪しげな人物。 彼がエクリプスから得た金は25000ポンドを超えたという。ダービーステークスもヤングエクリプスで優勝した。ただ怪しい出自や第12代ダービー伯爵等の反対により死ぬまでジョッキークラブの会員にはなることができなかった。
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